部活を引退してしまうと、学校生活は途端に短くなって、月日の流れがますます早くなる。
海風薫は進路のことで悩んでいた。夏のコンクールという一大行事を終えた吹奏楽部三年生は散り散りになり、後は卒業までクラスの仲間と思い出作りに励みながら、それぞれの進む道を決めて歩き出していく。
「私は海ちゃんと同じ高校に行くから」
生徒会副会長として活躍するクラスメイトの月丘めぐみは、薫といつも一緒にいる。それには何の謀略も含まれていない。単に薫に対する興味と関心からだった。卒業が刻一刻と近づくこの頃、めぐみは自分の進路までを薫に任せると声高々に告げた。薫はそれを嬉しいと思う反面、すっかり困ってしまっている。
今まで部活のことしか頭になかった薫は、将来自分がどうしたいのかなど、ほんの少しも考えたことがなかったのである。
進路相談の際、沢城はまだ決めかねている薫に対して、焦らなくてもいいとは言っていた。しかしクラスメイトのほとんどはどの高校に行くかどうかをすでに決めており、高校のパンフレットを見たり休日を利用して説明会に参加したりしている同級生を見ると、やっぱり焦る必要があるのではないかと思い始める。とりあえず、進学することは決めている。あとは自分の将来の夢次第なのだが、これまた困ったことに薫には将来の夢がない。小学校の卒業文集には具体的な職業名は書かず、人の役に立つ仕事をしたい、と濁した。それ以来、すっかり吹奏楽にのめり込み、漠然と勉強して中くらいから少し上程度の成績を保ってきたはいいものの、合格圏内の高校のホームページを読み渡っては、うんうんとうなり声を漏らす日々が続いていた。家族は、両親共に「薫の好きなようにしたらいい」の一点張りで、いろいろ話し合ったりはするのだが、どうにもこれと決まらずに話が自然消滅する。吹奏楽部最後の大会の余韻に浸る暇は、もはやなかった。
「じゃあ、吹奏楽部の強い高校にすれば?」
明くる日にめぐみに相談してみると、そんな答えが返ってきた。薫もいざとなったらそうしようかとは思っていた。
「そんな理由で決めてもいいのかな」
「だって将来何になろうとか、まだよく分からないんでしょ。みんなそんなもんだよ。私なんか、高校も海ちゃんと一緒になれればそれでいいやー、とか、そんな次元で考えてるし」
「えっ、本当にそれでいいの?」薫はすっかり冗談だと思い込んでいた。
「もちろん」そしてしれっと答えるめぐみ。「そりゃ真面目に考えてる人だっているし、あんまりいい加減にするのもよくないよ。でも大半は私みたいなこと思ってるって絶対。特に、小学校から中学校にエスカレーター式で登ってきてるような連中は。二年半中学生やって、いきなりさあ将来のことを考えなさいとか言われても、そんなの分かんないもん。近いようで、遠いし。大人になるまであと五年、その五年を大人になるために使うのって、個人的には、耐えられないし、理解に苦しむかなあ、って」
めぐみはわざとらしく舌を出した。「いろんな人から怒られそうだね、こんなこと言ったら」
めぐみの後押しもあり、薫は第一希望として深水東高校を受けることにした。大人数の吹奏楽部があり、合奏のコンクールだけでなくアンサンブルコンテスト等にも積極的に参加しているのだという。アンサンブルとはつまり、少人数の合奏のことだ。より技術力も試されるし、薫も少しずつ興味を持ち始めた。家からは少し遠いが、学力も薫に合っていて、両親も二つ返事で納得してくれた。
めぐみも沢城に対してもっともらしい志望動機を並べ立て、同校を希望している。「あなたならもっと上に行ってもいいと思うけど」と沢城は少しばかり驚いていたが、めぐみがあまりに熱望するので、沢城もたじたじだったらしい。ちなみに校内推薦だそうだ。
「ところで」
めぐみが薫に顔を近づける。
「日立くんの行く高校は聞いた?」
「ううん」首を振る。
「やっぱり。海ちゃんって、思わせぶりな女だよね」
「思わせぶり?」なんとなく真意は推察できるが、ささやかな反抗とでも言わんばかりについ分かっていないふりをしてしまう。
「日立くんと同じ高校だったらいいな、とか思わないの」
「思わなくはないけど、日立くんはたぶん、荒川くんと同じ高校に行くと思うよ。きっと野球の強いところだと思うから、深水東ではないかな」
「え、そうなの。そもそも二人ってまだ冷戦状態じゃなかったっけ」
「そんなことないよ、もう」薫はめぐみの巧みな言い回しに感心しながらも否定した。
「最近の日立くん、活き活きしてる。今までずっと隣でトランペット吹いてたけど、ずっと何か違和感があったの。それが、コンクールの最後の大会ではきれいに消えてた。なんというか、吹っ切れた感じ」
表情には変化はなかったし、音にもいつもの力強さがあったけれど、それでも何かが変わっている気がしたのだ。それも、明確な変化だ。
「たいした観察力だねえ」めぐみはにやにやしている。「まだ疑うからね、私は」
「ご自由にどうぞ」
薫はめぐみの口調を真似してみた。ちょっとだけ照れくさくなった。