今できること

「なんで黙ってたわけ」
 日立桐子が、弟の日立京悟に詰め寄っている。京悟は桐子に目を合わせず、下を向いている。
「弟の勇姿をわざわざ見に行ってあげたっていうのに、肝心の弟はコンクールに出てないし、聞けば居残り組で寂しくやっています、ですって。なんでそういう大事なことをさ、家族に内緒にしちゃうの。馬鹿なんじゃないの」
「桐子、やめなさい」
 母の日立留美が鋭い一声によって制止する。
 深水中吹奏楽部が県大会に出場した日の夜。日立京悟は自分がコンクールメンバーから外されたことを、姉と母に初めて告白した。
「私はね、あんたがメンバーから外されたことを怒っているわけじゃないの」普段、京悟のことに関しては感情を剥き出しにすることなくさらっと流すばかりの桐子が、珍しく声を荒げる。「外されたなら、相談してよ。あんただって嫌に決まってんじゃん。お母さんにでも、私にでも、打ち明けてくれたらよかったのに。私たちってそんなに信用できないの」
「そうじゃない」
「じゃあなんで」
「ごめん。言わなくて」
 桐子はぎょっとしたように目を見開くが、すぐにため息をつく。
「あんたって、本当気持ち悪いくらい素直だよね。本当に中学生の男子かよ、って思うわ。お年頃ならお年頃らしく、もっと荒れないと、さ」
「何言ってんだ」京悟もとうとう怒り出す。
「冗談。で? なんであんたは外されたわけ。それは自分で理解できているの」
 京悟はこくりと頷く。
「どうすればいいのかは」
 これには、首を横に振る。
「ふうん」
 理由そのものを聞かないのは、桐子もまだ京悟の立場に立ちたいと思っているからだ。本当は、大体の見当はついているし、桐子は京悟が決して弱くはないことを知っているから、聞けば答えてくれるとも分かっている。でも、だからこそ桐子は問題を明らかにしようとしない。あくまで京悟自身で解決させるようにする。そこは、母親のやり方が移ってきているのかもしれない。
「時が解決してくれるとは、思ってない?」
 この桐子の問いに、京悟は何度も頷いた。
「何かしないといけないと。でもその何かがさっぱり分からないと」
 京悟は、自分のことがあまりに見透かされているので、恥じるどころか逆に姉のことを尊敬するに至るほどだった。
「京悟」
 留美が京悟の前に座った。
「今できることをすればいいの。変なことで悩まない。いいね」
 桐子にはできない、実直なアドバイスだった。京悟もいくらか心が軽くなったような気がして、「うん」と照れながらも返事する。
 自分に今、できることは。京悟は考えた。

 コンクールが終わり、「コンクール組」と「居残り組」の両方が音楽室に集結し、吹奏楽部はひとつになった。それまであまり交流のなかった一年生と二年生も、徐々に練習を通して打ち解けていく。
「日立先輩、すみませんでした」
 一年の秋郷信男がいきなり謝ってくるので、京悟は何事かと思い焦った。
「先輩の席を押しのけてまでコンクールに出たのに、県大会止まりで。本当に、すみません」
「謝らなくていいよ。別に秋郷が悪いわけじゃない。コンクール組の連中も、沢城先生も悪くない。悪いのは俺だ」
 いつまでも過去のことを引きずっているから。
 吹奏楽に全力になれていなかったから。
「でも、これからは負けんぞ。覚悟しとけ」
「えっ」
「金管集合。パート練始めるぞ」
 今の京悟には、今の部活動を頑張ることしかできない。荒川翔とは、もう面と向かって話す機会など一度あるかないかぐらいだろうし、野球だって今試合をしたら草野球にしかならない。日立京悟は吹奏楽部員だ。野球をやめた。ただそれだけのことだ。そしてそれを確固たるものにするためには、もっと上手くなるしかない。次のコンクールまでの一年間、時間は限られる。少しも無駄にはできない。
 日立京悟の、とりあえずの目標。それは、同じ三年生の海風薫に並ぶことだ。