日立京悟は、ある休日の夕方、家の近くにある公園のベンチに座っていた。そろそろ帰らなければと思うが、なるべくなら体を動かしたくなかった。もう少しだけ、オレンジ色に染まる風景を見ていたかった。
小学六年の夏、京悟は少年野球の大会で惜敗した事実を、あまり重く受け止めていなかった。あの日京悟は、目の前で展開していく試合よりも、他のことが気になっていたのだ。試合に集中することができていなかった。それを京悟は今でも悔いている。試合終了直後、自分の非を荒川翔に素直に伝えることができず、互いにもやもやとした気持ちを抱えたまま、時間が過ぎていった。
この公園で、京悟は翔とよくキャッチボールをした。
最後に球を投げ合ったのは、九月頃、それも数十分程度のものだ。小学校が違うため、チームの活動を通さなければ、二人はあまり会うことがなかった。たまにゲームセンターや商店街へ一緒に遊びに行ったことはあったが、誘うのはいつも翔の方で、京悟は言われるがままついていって、なんとなく付き合って、ふらふらと帰るだけ。結局のところ京悟は、野球を通してでしか翔と心を通わすことができないのだった。
もう春も半ばを過ぎたが、さすがに日が暮れると風が冷たい。京悟は立ち上がり、家に帰ろうとして公園の出口へ歩いた。
「おい」
京悟を呼び止める声があった。京悟の知っている声だ。そしてその声の主は、京悟が今、最も会いたくない相手だった。
少しの躊躇の末、京悟は振り返る。視線の先に立っていたのは、案の定、荒川翔だった。学校指定の白い靴は土に汚れ、ジャージも汗でところどころ体に張り付いている。どうやら、部活の帰りのようだった。
「なんで野球部に入らなかった」
単刀直入に翔が聞く。
京悟と翔は同じ深水中学校に入学した。しかし二人はそれぞれ違う部活に入部した。翔は迷うことなく野球部を選んだが、京悟は悩みに悩んだ結果、野球をやめることにしたのだ。
「まだ間に合う」
京悟が何も答えないので、翔は話を強引に進めようとする。
「京悟を入れてもらえるように、俺が坂口先生に話してやるから、来いよ。うちの部、捕手をもっと欲しがっててさ、お前がキャッチャーだってことを話せば先生もきっと分かってくれる」
「俺はもうキャッチャーじゃない」
夕日に染まる翔の顔が、わずかに歪む。京悟は翔に嫌われることを覚悟の上で、ひとつひとつ、まるで自分自身に言い聞かせるようにして言葉を繋げていく。公園にはもう、二人以外誰も残っていない。二人の少年の影がただ不気味に伸びている。
「黙って野球をやめたことは、本当に悪いと思う。ごめん。でも、もう間に合わない。監督も言ってた。練習を一日怠けると、三日遅れるって。だから」
「ふざけんな」
「ふざけてない」
「ふざけてんだろっ。なんでだよ。なんで、野球やめようなんて思ったんだよ。理由を教えろ」
「今は言えない。言いたくない」
翔の顔は、京悟が今まで見たこともないくらいに怒りに満ちている。何かあるたびに笑って京悟に報告していた、小学生の頃の翔とはまるで違っていた。京悟は、翔の中に黒い感情が芽生えるのを、黙って眺めている気分になった。ひどく、寒気がした。
「もういい」
翔は、公園の出口を抜けていく。すれ違いざまに、京悟につぶやいた。
「お前なんか、もう知らん」
翔の靴音は、すぐに小さくなった。夕空はすでに濃い紫へと変色し、夜を迎える。
この日京悟と翔は、決別した。