後継技師

 オズワルド・イーグルの生前より、鉄道事業を肝心要とするこの国では、大陸の端から端までを鉄路で繋ぐ計画が立ち上がり、進行していた。最南の町ペンドリオールと、最北の街コスタノアにそれぞれ始終点となる駅を造り、双方向の往復を可能とする鉄路を敷設する。また、当然のことながら、道を拓くだけでなくその道を行くために、長距離、長時間の走行に耐え、なおかつ大量の人員や物資を運搬できる高機動力、持久力を有する新型の機関車が必要条件として求められていた。
 オズワルド・イーグルは、鉄道管理局の監督下にて、その新型機関車の設計及び開発に車両技師のひとりとして携わっていた。当時の関係者が語るところによれば、計画の初期段階から他の追随を許さない技術的能力、豊富で隙のない知識量、周囲の人間に有無を言わせぬ我の強さと指導能力の高さを存分に発揮し、気づけば計画の代表者に近しい立ち位置についていたという。本人は嫌がっていたそうだが、落成予定の機関車に彼の名が冠されるようになったのも、それが所以だった。ひと繋ぎの鉄道で国の最南から最北までを結び、その鉄路の上を史上最大規模の新型機関車が疾走するという、未だかつてない一大事業の実現に向かって、計画は順調に、確実に進められた。
 その最中に彼は、彼自身が造り上げた機関車が走る景色をその目で見届けることのないまま、北にある深い谷の底へと落ちて、姿を消した。
 警察から北部渓谷機関車転落事故の発生が公表され、オズワルド・イーグルを含む乗客全員が死亡者として取り扱われることになった。国を震撼させる重大事故、しかも計画の第一人者が命を落としたと分かり、大陸縦断鉄道計画が中止となることは、誰しもが予想する結末だった。しかし、彼の近くで汗を流し、身を粉にして働いてきた他の大勢の技師たちは、素直に言い表すことはないにしろ、彼が誰よりも新たなる鉄道の開通を夢見ていたと知っていたので、彼の死を悼むより、彼が望んでいたであろう夢の継承に注力する向きを重んじる者が多数を占めた。鉄道管理局もそんな技師たちの意思を汲み取り、事故の再発防止を目指した活動に尽力すると同時に、大陸縦断鉄道に関連する工事を再開させるべく、作業工程の見直し、不足した人員や資材の確保及び調達などにも積極的に取り組み、一旦停滞したはずの計画は、やがて再び動き出した。終盤にかけては水面下での働きではあったが、数年に渡って続けられてきた大陸縦断鉄道事業計画は、完了の時を迎えた。



 バノック警視庁の大会議室は、真冬にもかかわらず人いきれに満ちている。
 ダグラス警視総監を中心に、中央部警察上層部、各課の代表者が横一列に並び、原稿資料の置かれた長机を前にして、使い古された粗末な椅子に腰かけている。机を挟んで向かい側の空間には、筆記具や小型の写真機を片手に持つ報道記者たちが放射状に散在している。その後方では、ラジオ番組で生の音声を聴者に届けるための集音器と、それに付随する大量の機材が部屋の壁際の近辺を陣取っている。皆、始まりの時を今か今かと待ちあぐみ、用意されている新品の椅子を荷物置きにして、立ち上がって道具を構えている。時折、部屋の一角から聞こえてくる咳払いをのぞいて、不用意に声を発する者はいない。この室内で少しでも何か発言すれば、即座に全員の注目の的になる。それほどまでに、大会議室にいるすべての人間の神経が、極限まで研ぎ澄まされていた。
 その重圧を払いのけるかのような声量で、警察側のひとりが第一声を放った。
「報道各社、及び関係者の皆様、本日はお集まりいただきありがとうございます。これより、中央部警察による定例記者会見を開始いたします」
 開かれた会見の要旨としては、記者陣の大方が事前に想像していた通り、北部渓谷機関車転落事故の捜査の進捗状況に関する報告だった。事故発生から数えて一年以上が経過しているからといって新たな事実が公表されるかといえばそのようなことはなく、判明している限りの事故の概要と経緯の再説に始まり、犠牲者遺族への対応、鉄道管理局による事故再発防止施策の推進表明、南北の支部を含めた全体的な捜査体制の現状に至るまでが、担当の警察官によって語られた。それらの発表のほとんどが、この場にいる記者たちにとってしてみれば、なんら真新しいものではなく、過去に行われた会見の焼き直しといっても相違がないほどだった。最後にダグラス警視総監から、引き続き捜査には全力を尽くしていく、との宣言がなされて、報告はそこで一旦締められた。
「次に、以前、中央部警察に提出された遺失物に関する情報公開です」
 先ほどとは別の警察官が、資料に目を落としながら文章を読み上げていく。内容は、こうだった。
 秋にユロック大学で開催された文化祭の期間中、あるひとりの男子学生が大学の廃棄物置き場で錆びた犬釘を発見した。犬釘に括りつけられていた認識票の製造年号より、北部鉄道が開通した際に、北部渓谷を跨がる鉄路の枕木に記念として打ちこまれたものではないかと推測された。その日偶然文化祭に訪れていた中央部警察鉄道保安課の巡査が犬釘を受理し、専門機関に持ち帰ると、科学的捜査によりその推測が正しいことが裏づけられた。あくまで記念として打ちこまれたものであり、この犬釘一本が引き抜かれたところで列車の走行に影響はないものの、歴史的観点から見ても価値のある工業品であることは間違いなく、何者かがなんらかの目的で犬釘を引き抜き、ユロック大学へ持ち運んだものとして、その者の所在と動機を明らかにするべく捜査に当たる方針を示した。
 大学の文化祭の中で、行事として討論大会が開かれたこと、その討論大会で事故の発生原因はいかなるものだったのかが議論されていたこと、犬釘が発見者の男子学生によって討論の場に提示され、その後の討論の流れに多大なる影響を与える結果となり、来場者の間で広く話題となっていたこと、これらすべてには一切触れずに、担当者は口述を終えた。
 記者側からの質疑の時間に移り変わり、我先にと、ある記者が手を挙げる。
「間もなく大陸縦断鉄道の竣工を記念した式典の開催が控えていますが、それについては、いかがでしょうか」
「いかがでしょうか、とは」
 あえて意図をぼかした質問が投げかけられ、警察側の回答者の声色にも若干の困惑と警戒心が滲み出る。記者はその反応を期待していたようで、一時の間も作らずに投げ返す。
「事故の損害補償、事故の再発を防ぐための取り組みに充てられる費用の大半は、国庫より捻出されます。しかも、北部渓谷に転落した列車の中には、あのオズワルド・イーグル氏もいた。このような、国の存続そのものが危ぶまれるような悪状況で何をとち狂ったのか、鉄道管理局は、事故が発生して半年が経つか経たないかという誰の目にも尚早と分かる時期から、大陸縦断鉄道の工事を再開させています。当然、それにも莫大な費用がかかるはずです。工事は半ば強引に押し進められ、とうとう竣工まで漕ぎ着けてしまった。もっと堅実な資金の使い道があるのではないかと考えるのは、私だけではないと信じています。たとえば、谷底に落ちた車両を引き上げるための重機を製造するなど」
「時間が限られておりますので、質問内容を明白にしてください」
 発言に被せるようにして忠告されるが、記者はひるまず、むしろ笑みすら浮かべている。
「警察は、大陸縦断鉄道の開通を強行する我が国の姿勢に、賛同されますか。それとも、反対されますか」
「組織として、賛否を示すことはいたしません」
「しかし、竣工記念式典の警備を、中央部警察が担当されるとうかがっていますが」
「はい」
「それは、少なくとも反対の意思は持たないと認められるということでよろしいですか」
「繰り返しますが、警察組織は本国の政治的意向には介入しません。よって、その質問には回答いたしかねます。式典の警備業務につきましては、式典の実行委員会様より依頼を承り、任務を遂行します。有事の発生を考慮して、式典会場内外に複数人を配置し、厳戒態勢を敷く所存です」
「ありがとうございました。質問は以上です」
 満足げに着席しかける記者に、警察側からすかさず声がかかる。
「今の質問者は、名を名乗ってください」
「失礼。ユロック・タイムズ社の、ビル・ベインズです」
 質疑応答の時間は以降も続いたが、最初の質問者、ビルの興味や関心を煽る受け答えは交わされなかったようで、分厚く盛り上がった手帳を上着の内側にしまいこむと、外していたハンチング帽を頭に被り、会見の終了を待たずに、ひとり大会議室を出ていった。その後ろ姿を、ダグラスが静かに目で追っていることには、誰も気がつかない。



 記者会見の翌日、中央部警察鉄道保安課に所属するレックス・ベイカーは、同じ課の上司であるスカーレット・マイヤーに連れられて列車に乗り、バノックの心臓部である第一地区へと降り立った。雑踏をかきわけるように進み、やがて大陸縦断鉄道竣工記念式典の会場が入る高層建造物の前にたどり着いていた。摩天楼とも呼称されるその巨塔は、かつてレックスの全視界を占領した、北部コスタノア美術館に比肩するのではないかと錯覚するほどに、空を高く貫いていた。
「全くもって信じられん。かの高名な大学教授が、貴様のような下っ端に、このような大役を任せたいなどとのたまうとは」
「誰より一番信じられていないのは俺自身なんですよ、マイヤーさん」
 ユロック大学の教職員であるモーゼズ・ガフは、かつてイーグルの機関車の設計に関わっており、その実績を買われて今回の式典に登壇者のひとりとして出席することが決まっていた。レックスが、そのモーゼズから式典に来て挨拶をしてくれないかと声をかけられたのは、式典開催日の数日前のことだった。
「もともと親しい人間が少ないというのもあるけど、私ひとりでは、どうにも心細くてね。壇上で軽く談話の時間を取ってくれと頼まれているんだが、誰か信頼の置ける知人が見守ってくれるのであれば、引き受けてみようかなと思ったんだ。すまないね、小心者のわがままを聞いてもらってしまって」
 会場と同階にある来客用の部屋に案内されたふたりを出迎えたモーゼズは、朗らかに笑いながらそう言った。それとは対照的に引きつった笑みしか返せないレックスの横に、笑みすら一切浮かべていない、浮かべるつもりもなさそうな女性がいることに気づいても、その温和な雰囲気を醸し出すことをやめなかった。
「あなたとは、初めましてですね。ユロック大学で教職に就いております、モーゼズ・ガフと申します」
「中央部警察鉄道保安課の、スカーレット・マイヤーです。クラーク・ロウ警部が別業務によりこの場に来られないため、代理でうかがいました」
「それはどうも。あなたを責めるわけではありませんが、少し残念だ。久しぶりにクラーク君と会えると思って、密かに楽しみにしていたので」
「お知り合い、なのですか」
「ええ、昔からの付き合いでして。お互いに結構な歳を重ねているくせして、ありがたいことに毎日忙しくさせてもらっているから、なかなか面と向かって話をするまでには至らなかったんです。だからこうして仕事にかこつけて、酒の一杯でも交わそうかと企んでいたものですから」
 式典の打ち合わせを目的として集まったため、挨拶と世間話もそこそこに本題へと入っていくかと思われたが、モーゼズは友人の話題を掘り下げる。
「しかし、彼も大変だね。日中に出払っているということはあれだろう、旧炭鉱の閉山手続き絡みかな」
「よく、ご存じで」
「会ってはいないだけで、たまに連絡は取っているからね。話には聞いているよ。最近になってから、少しずつ街中やラジオの報道でも耳にするようになったし。すでに採掘は終わっているのだから、さっさと閉めてしまえば済む話だろうに、権利者と悶着でも起きているのだろうか」
「それは、いくら教授が相手であろうと、お答えすることはできません」
「いえ、すみません、教えてくれと言っているわけではないのです。教授とか、機関車の設計に関わったことがあるだとか、そういった立場は抜きにして、ただ、ひとりの国民として心配というだけで。この間にも北の美術館で物騒な事件がありましたし、ここ中央でも危機感というか、そういったものが高まっているように思います。いつ、自分の身近な場所で銃火が交えられるかと思うと、怖くなってしまって、外を歩けなくなる」
「そのような事態にならないために、私たちがいます」
「もちろん、分かっています。改めて、心からの敬意を表したい。あなたにも、レックス君にも」
 モーゼズが、それまで黙っていたレックスを会話の中に引きずりこむ。
 それが意図的なものであることに気がつかず、レックスは受け答えてしまう。
「もったいないお言葉です。先輩や上司に比べたら、自分はまだ未熟者なので」
「そんなことはないさ。自分自身や家族、仲間、ひいては国といった、大切なものを守るために、銃器の携帯が許されている唯一の国家機関に属しているのだから、謙遜せず、胸を張りたまえよ」
「は、はい」
「特に君のような、まだうら若き青年が頑張っているのを見聞きすると、本当に頭が下がるよ。その歳で、誰かに銃口を突きつける覚悟が備わっているだなんて。私のような臆病者には、到底無理なことだから」
 思わず否定の言葉を口に出そうとした、その直前、レックスの頭に疑念に似た何かが生まれる。モーゼズの話の運び方が、どこか不自然だと感じられたからだった。
 レックスは、モーゼズとは親しいと言えるかどうかはともかくとして何度か顔を合わせたことはあり、知人と呼ばれて否定するほどではない仲であると思っている。現にレックスがユロック大学の文化祭に遊びに行く機会を得たのも、モーゼズの紹介によるものだった。しかし、北部のコスタノアを訪れることは、モーゼズには言っていない。どれほど記憶を子細にたどっても、言っていなかった。それどころか、隣で苛立ちを隠しきれずにいるスカーレット・マイヤーや、カイル・フロイド、ジェイミー・エイムズといった鉄道保安課の人間にも、報告していない。コスタノア美術館で占拠犯たちに包囲され、かつて機関車強奪事件でも対峙したキングスと戦闘し、負傷しながらも一発の弾丸を撃ちこんだという一連の出来事を、明かしていない。同じ警察の人間にさえ明かしていない情報を、二、三度会ったことがある程度のモーゼズが知っているはずがなかった。それなのにモーゼズの口ぶりは、まるでレックスがコスタノア美術館で拳銃を使用した事実を確認したがっているかのように、レックスには思えてならない。はっきりと、弾を撃ったのか、とは問わないまでも、探りを入れられているのではないかと勘ぐってしまう。
 レックスが何も言わないので、室内は少しの間、静まり返っていたが、すぐに沈黙は破られる。
「私も、この男も、警察官は全員、厳しい訓練と厳格な規律の下で国民の安全を守っています。銃とは、人を殺すためでなく、人を守るために所持すべきものです。その覚悟を持たない者は、たとえ上から諭されずとも自ら銃を手放すことを選ぶでしょう。自然界で、弱き動植物が淘汰されていくのと同じように」
 おそらく彼女の本心とはかけ離れているであろう言葉と態度で、スカーレット・マイヤーが助け船を出した。さすがのモーゼズもそれ以上は話を広げようとせず、その後は式典の打ち合わせが事務的に行われた。この時ばかりはレックスも、彼女を頼もしい上司だと感じたのだった。



 レックスが式典で鉄道保安課を代表して祝辞を述べることが正式に決まると、その場は解散となった。多忙な上司や大学教授の帰りを見送ってから、レックスは、少しでも式典当日の緊張を和らげようと、ひとり残って式典の会場を見学していくことにした。ちょうどその時、大陸縦断鉄道を走行予定である新型機関車の先頭車両の複製品が、会場へ運びこまれるというところだった。レックスも運搬を手伝い、建物の中の大部屋の一角に、機関車の顔が鎮座するという希有な光景が生まれた。
 接触を禁ずる横断幕に体を引っかけないようにして、レックスは正面から、横からと機関車の模型を眺める。実物には着色が施されるが、模型は車体から車輪まで黒く染め上げられているため、実際の色味はここでは分からない。連結部から後は切り取られているものの、それでもバノックの街を走る現行の機関車とは比べるまでもなく巨大な造形であり、たとえ模型であっても見る者を驚嘆させた。四軸の動輪が支える台枠は縦に分厚く、前方にも大きく突き出しており、安定感と重厚感を形作る。左右の標識灯に囲われるようにして、翼を折り畳んだ鷲をかたどった紋章が、前面の中央に印字されていた。
 レックスには、その鷲の絵をどこかで見たような記憶があった。
「あ、あのっ、すみません」
 声をかけようか迷いながらも、決死の思いで踏み切ったであろうと感じられる切実さを背に受けて、レックスは振り返った。
 レックスよりも若いが、レイやアルフレッド・デイトンよりかは年齢を重ねている。光を照り返す銀髪に、瓶の底のようと形容される丸眼鏡をかけている。レンズの奥にある垂れ目も相まって、どこかおっとりとした印象を与えるが、いかにも技術者らしい使い古しの作業服に身を包み、機械の設計図が描かれた紙の束を片腕に抱えている。彼がただの見学者ではないことを示していた。
「もしかして、レックス・ベイカーさんですか」
「そ、そうですが、あなたは」
「あっ、ごめんなさい。突然、名乗りもせずに。機関車両技師として働かせてもらっています、ルーカス・パウエルです。モーゼズ・ガフ教授の紹介で、この記念式典の設営に携わっておりまして」
 語調には明らかな緊張が表れているものの、はきはきと喋ろうという意思が読み取れる。レックスはすっかり好印象を持ち、にこやかに自己紹介を返した。
「やっぱり、あの警察官さんだったんですね。僕、ずっとお聞きしたかったことがあって。ユロック大学の文化祭で開かれた討論大会の後、大学で見つかった犬釘を中央部警察へ持ち帰られたと」
「ああ。すごいな、そこまで知ってるのか」
「はい。僕、ユロック大学の討論大会が大好きで、毎年、楽しみにしていたので」
 ルーカス・パウエルは討論大会当日、観覧客のひとりとして討論を傍聴していた。アルフレッド・デイトンが討論の場に持ち出した犬釘が、警察側で正式に証拠品として受理されたことは複数社の新聞記事で触れられており、一部の新聞には、レックスが学生会長であるハーバート・アイザックスから犬釘を受け取る場面を収めた写真も掲載されていた。
「昨日、ラジオの生放送で記者会見の中継を聞きました。討論では、あの犬釘には大学の廃棄物置き場の土と、北部渓谷周辺の土に加えて、中央部の地下の土と推定される成分が検出されたって言われていましたよね。それが、警察の捜査でも裏づけられたと」
「う、うん」
「裏づけられたというのは、どれに対しての発表なのでしょうか」
「どれに対して、って、どういうことだ」
「地下の土です。犬釘に地下の土が付着していたというのは、事実ですか」
 初めは確かにあったはずの緊張がルーカスの言葉から取り払われていき、代わりに熱意と勢いが加わっていく。レックスは以前似たような状況になった時、アルフレッドにそうしたように、意識して落ち着いた口調を保ち、ルーカスをなだめる。
「悪いが、一個人に警察の捜査情報は教えられないんだ。警察から国民に向けて伝えられることは、記者会見で述べられた内容がすべてだよ」
「そ、そうですか。そうですよね。ごめんなさい、会っていきなりこんな失礼を」
「構わないよ。関心を持ってくれているのは嬉しいし、俺も、もっと仕事を頑張ろうって思えるからさ」
 瞬時に自制し、一歩引き下がるルーカスに、レックスは良くないと分かっていながらもアルフレッドと彼を心の中で比較してしまう。ふたりには等しく意欲を注げるものがあり、時には周りが見えなくなってしまうこともあるようだが、引き際をわきまえているかどうかが確かに違っていると、レックスは評価した。
「ところで、パウエル君は車両技師なんだね」
「一応、そのつもりです。元は南部の小さな工場に勤めていましたが、少し前に中央に越してきました。中央部鉄道施設の整備にも関わったりしています。最近はもっぱら、大陸縦断鉄道関連の雑務を任されることが多いですが」
「へえ。俺より年下なのに、すごいな」
「ありがとうございます。でも、自分が今ここにいられるのは、全部あの人の、先生のおかげなんです」
「先生、って、もしかして」
「はい。オズワルド・イーグル先生です」
 これまで生きてきて、何度その名を耳にしてきたか、数えきることなどできない。
 彼には、あらゆる人が言い重ねてきた、さまざまな呼び名がある。この国で最も偉大なる機関車両技師。機関車を創り、一国に血を巡らせた男。機関車の父。その中で唯一、機関車を冠さないのが先生、という呼称だった。それは、レックスの一番身近にいる存在が時折、その姿を探しているかのようにつぶやく呼び名でもあった。
「南にいた頃に、ペンドリオールの教会に通っていて、イーグル先生とはそこで出会いました。先生は車両開発の仕事の傍らで、牧師もお務めになられていたので」
「そうだったのか」
「そうなんです。ほとんどの人にとっては、機関車を創った人、っていう印象がほとんどなのかもしれませんけど、僕はむしろ、教会に行ったらたまにいるおじさん、ぐらいに初めは思っていたんですよ。ものすごく有名な技師だと分かったのは知り合ってからだいぶ後のほうだったので、聞いた時は冗談じゃなく心臓が縮み上がりました」
「でもどうして、先生、なんだ」
「教会で、本当にたくさんのことを教えていただいたからです。機関車についての知識や技術だけでなく、人間として、この狭苦しい国に生まれ落ちた者として、どうやって生きながらえていくのかを、一緒に考えてくださったんです。それに、僕より前に、先生のことを先生って呼んでいた子がいたので、その子の真似をしているというのもあります」
 会話を進めていくごとに、先ほどまでルーカスに取りついていたものとは別の種類の緊張が、レックスに迫っていた。
 聞いてはいけない。この場でこれ以上、踏みこんではならない。
 そんな思いにとらわれながら、知りたい、確かめたいという我欲に、逆らうことができない。
「そんな子が、いたのか」
「ええ。先生と一緒にいるところをたまに見かける程度で、言葉を交わしたことはありませんでしたが。いつしか、何度教会へ足を運んでも、会えなくなってしまいました。その子にも、先生にも」
 我欲は満たされないまま、打ち止められた。
 故人を語る対話には得てして、その者の死に直面した瞬間の心境を思い起こし、向き合う時が来る。ルーカスはおもむろに、横断幕の奥にある機関車の模型に視線を移し、鷲の紋章を力強い眼差しで見据える。彼にはもう、わずかの悲しみしか残されていないように、レックスには感じられた。ただそれだけの所感でルーカスを非情だ、などと批判するつもりはなかった。ただ、ルーカスはもう、死を悼み、悲嘆に暮れるばかりの時間をとうに乗り越えていて、すでにオズワルド・イーグルがいなくなった後の未来に目を向けているのだと、レックスは思い知らされた。
 陽の傾きが始まり、室内に差しこんでいた外からの光が弱まると、華やかであるべきはずの記念式典会場は、どこか気味の悪い夕闇に包まれていく。
「惜しい人をなくしました」
 ありふれた述懐を皮切りに、ルーカスは背後の過去を経て、目前の未来を語る。
「きっと僕には、先生がどれだけ偉大であったかなど、なんというか、深いところまで分かりきれてはいないのでしょう。あの子もそうですし、同じ教会の修道者の皆さんや、先生の下で働いてきた大勢の技師たち、大陸縦断鉄道計画の関係者たち、そういった、先生と関わってきた、親しくされてきたすべての人は、僕が抱くよりはるかに強く、絶大な思いを馳せていたのだろうと、勝手に想像してしまうんです。僕の抱える悲しみ程度では、到底届かないぐらいに、遠くまで。どのように柔軟に考えを改めたところで、先生は、まだ死ぬべきではなかった。誰もが途方に暮れたとしても、それは責められないことでしょう。しかし、先生の死は、覆しようのない事実としてここにあります」
 レックスは、暗がりに落ちこむ機関車の模型をぼんやりと眺めている。
 自身の表情も暗くて見えにくくなっているのをいいことに、ルーカスの話を、黙って聞いている。
「覆せないからこそ、僕は、この国は、前に進むことしかできないんだと、考えるようになりました。終着駅に未だたどり着かない、機関車のように。決して悲しんでいないというわけでなく、立ち止まっている余裕がないだけなんです。もし先生が生きていたなら、何をぼさっとしてやがる、なんて言われながら、尻を引っぱたかれるでしょうし」
 だからルーカスは、大陸縦断鉄道計画に関わる工事の再開に賛同の意を示し、工程の遅れを取り戻すための事業にいち早く参画した、と言った。その中でモーゼズと知り合い、今回の竣工記念式典にも開催者側の立場から出席することになったという。
「つまるところ僕は、イーグル先生の後継者になりたいのです。おこがましいと言われるであろうことは分かっています。でも先生は、国を跨がる鉄路の上を、新たなる機関車が走り抜けるという壮大な計画の実現を、確かに望んでおられました。僕は、それを知っています。誰よりも、などと言い張るつもりはありませんが、先生の近くにいた、ひとりの技師として、自信を持って明言できます。事故の原因を調べて再発防止策を練ったり、先生をはじめとした事故の犠牲者を思い、悼んだりすることは、今の僕が果たすべき役目ではない。先生の夢が潰えないようにするための手助けであれば、たとえこの身を犠牲にしてでも、力の限りを尽くしたい。そう思います」
「すごい。本当にすごいよ、君は」
 レックスが返した感想もまた、ひどくありきたりなものだったが、そのひと言を口に出すのがやっとだった。ほかには、何ひとつとして返せなかった。



 夕闇が過ぎ去り、深く黒い闇が広がる夜。
 バノックの街の一角、旧炭鉱の近辺にある憩いの広場には、住民に一日の区切りを鐘の音によって告げる時計塔が建っている。煉瓦造りのその建物は、上部の時計の文字盤が遠くからでもよく見えるようにという意図から、横に細く縦に長い形状をしている。日中にはそこそこの人数が集まる広場だが、老朽化が進んだ時計塔の外観は、まるで廃墟のようだと言われることも多く、夜になると人は誰もいなくなる。
 施錠されているはずの時計塔の内部には、モーゼズがいる。
 無数の歯車が噛み合ったまま静止しているだけの、あたかも時が止まったかのようと錯覚しかねない空間を、モーゼズは歩く。ところどころに嵌めこまれる窓から入りこむ星の頼りない灯りの下で、迷いなく歩を進め、靴音を響かせて階段を上がる。空間の奥、乱雑に置かれている機械の山に近づいていく。機械は、不規則な電子音を断続的に、安定した排気音を定常的に発しながら、稼働している。端子から伸びる複数の配線がどこに繋がっているのかは、この夜では目で追うことなどできない。
 そこには、少年もいる。
 少年はかつて、人を殺したことがある。ある少女の残酷な願いを聞き入れて、少女の親族にひとりずつ手をかけていった。しかし、警察に少女もろとも追い詰められて、最後には警察官の銃弾を受けて逃げ去った。負った傷は、モーゼズによって治療された。治療は完全ではなく、少年の傷が塞がるまでには、時間がかかった。
「気分はどうだい。ヨーク」
 モーゼズが、傷の完治した少年に、優しく語りかける。大切な壊れ物に、そっと手を触れるかのように。
 その質問は、体調に対するものではない。
 少年は積み上げられた機械にもたれかかり、うずくまったまま、何も答えない。闇の中から、モーゼズを睨みつける。
 モーゼズも、聞いておきながら、返答を求めていない。
 少年の意思を、必要としていない。
「さあ、仕事だよ」