「このまま放っておくと、一大事になる予感がするんです」
極めて神妙な面持ちに、少しばかりの怒りの感情を添えて、イザドラ・ケンドリックはそう、はっきりと言い切った。
中央駅の広場に設立された慰霊塔の除幕式が、つつがなく執り行われた日の翌日。まだまだ寒さの厳しい冬の昼間を少し過ぎた頃、ユロックの町にあるセヴァリー雑貨店は、ほとんど客足が向かわず、閑古鳥が鳴くほどの静けさの中、普段通りの営業を続けていた。
北部コスタノア美術館占拠事件が発生した夜、中央部ユロックでは別の事件が起きていたことは、ごく一部の限られた人間しか知らない。ユロック大学の学部は異なるが同じ学年であるアルフレッド・デイトンがイザドラを引き連れてセヴァリー雑貨店の二階、経営者デイジー・セヴァリーの私室を調べたところ、部屋の扉にかけられていたはずの鍵が壊されており、室内に飾られていた絵画が数点、何物かによって持ち出されていることが明らかとなった。アルフレッドたちの判断により、事件が発覚した当夜のうちに警察へ窃盗の被害を届け出るが、捜査の進展状況は芳しくなく、結果、未だ犯人は捕まっていない。しかし、損害を被ったデイジー本人はというと、警察に抗議をするでもなく悲しみに明け暮れるわけでもなく、ただ絵画が盗まれたという事実を受け止め、現場の捜査が一段落した頃にはすぐにでも店を開けられるよう準備に取りかかり、何事もなかったかのようにこれまでの生活へと戻っていった。窃盗犯の正体に心当たりがあるアルフレッドは、捜査状況に好転が望めないことに対して、相手が相手だけに納得は到底できないとしても受け入れざるを得ないと諦めてしまうが、あまりにもあっさりとしているデイジーの態度に、イザドラは強く違和感を覚えた。それでも一介の従業員でしかない彼女は、雑貨店の経営方針について口出しできる立場でもないために、営業日には出勤し、すっきりしない気分を抱えながらも、労働に励んでいた。同じ従業員であるエルシー・グリーンや、すっかり常連客となっていたネル、レイと他愛のない雑談を交わせるセヴァリー雑貨店は、大学の研究室に引けを取らないほどに、彼女にとって大切な居場所のひとつになっていた。
だが、そんなイザドラの心が、さらに大きくかき乱されるかのような出来事が起きた。
「昨日、中央駅でアルフを見かけたんです。あいつ、人混みは好きじゃないから近づかないようにしてるって言ってたから、珍しいなと思って声をかけようとしたんですけど、出そうとした声が引っこんじゃって」
アルフレッドの隣には、女性がいた。
会話を盗み聞きできるほどに距離は詰められなかったが、気になって仕方がなかったイザドラは、潔くその場を立ち去ることもできず、駅舎の柱の陰に身を潜めて、ふたりに見つからない程度に離れた位置から様子をうかがった。アルフレッドは、見た目から彼自身よりも年上だと分かる女性を相手に、何やら話しこんでいた。内容は不明だが、アルフレッドがあまり穏やかでない表情を浮かべており、明るい話題ではなさそうだった、とイザドラには感じられたのだという。アルフレッドはともかくとして、イザドラの知らない女性であることは間違いないようだった。
「愉快だわ」
イザドラと、聞き役に徹していたエルシーの会話をちゃっかり耳に入れていたネルが、馬鹿にしたように笑い出す。ちなみに、その傍らにはレイもいる。
「意中の男が知らない女に気を許して、親しげに話している現場を目撃しちゃった、ってことでしょ。構わず割りこんでやればよかったのに」
「勝手に聞きかじった上に、曲解するのはやめてもらえるかな、狼少女。何を話しているのかは分からなかったけど、どう見ても楽しい会話に花を咲かせているようには見えなかったよ。相手を警戒しながら喋ってたっていうか、少なくとも気を許してはいなかったと思う」
「だったら、こうじゃないの。ふたりで新しい愛を育み始めたいけど、面倒くさい女につきまとわれているから、どうにかして別れを告げて、ここから離れようっていう。深刻な人生相談よ」
「何かにつけて、そういうことにしたがるよね。というか、今の話だけでよくそんな妄想を繰り広げられるものだわ」
そのままいつもの言い合いに発展しかけるところを、エルシーが割って入り、抑制する。
「本人に直接聞けば、済む話なんじゃないのかな」
「そんな、無理ですよっ。私が遠くからこっそりふたりを睨んでたってことがばれちゃいますし」
「睨んでたんだ」
「それに、正面切って問いただしたところで、あいつ、絶対に答えようとしないので」
イザドラは、北部渓谷機関車転落事故が起きてからというもの、アルフレッドの持つ知識や取る行動に秘密が増えたように思えてならなかった。
レイが初めてユロック大学の鉄道工学第三研究室を訪れた時、アルフレッドは事故のことを〈落日急行〉と呼んだ。それは警察、報道関係者間のみで使われる、事故を示す隠語であるとアルフレッド自身の口によって語られた。セヴァリー雑貨店の絵画が盗まれたことを確かめた夜、アルフレッドは机の上に置かれていた暗褐色の鳥の羽根を指し、《夜鷹》によって残されたものだと断じた。《夜鷹》が犯罪行為に手を染める時、犯行現場に声明を残していくという性質だけでなく、その声明が具体的にどのようなものであるかまでもを、アルフレッドは把握していた。これらは当然、警察か、報道に属する人間でなければ知り得ない情報であり、一般の国民がこれらを知ろうとする場合、新聞やラジオの報道番組を読み聞きする以上の行動を取らなければならない。
「正直、事あるごとに知識をひけらかしてくるのがどうにもうっとうしいっていうのもあって、じゃあ一体その知識はどこで仕入れてきたものなのかって、反射的にしつこく聞いてやるんですけど、毎回はぐらかされるんです。いや、ちょっと違うな。はぐらかされるというか、明確に拒絶されます。まだ言えない、時期が来たら話す、って」
「それならその時期ってのが来るのを待つしかないでしょ」
ネルが投げやりに言うが、同意する者はいない。
「私、本当に心配なんです。アルフは、去年の機関車転落事故の真相を追い求めることに異常なまでに執着していて、大学の講義も平気で何日も欠席して、調査に没頭しています。いつか、ううん、きっともうとっくの昔に、そういった事件関係者でしか得られない、本来であれば秘匿されるべき情報を得られるような場所、大げさに言えば機関、みたいなところに通ってる。でも、そこが安全だなんて保証はどこにもないわけじゃないですか。私が何度、もうやめてって言っても聞く耳を持たなかったから、最近は、半ば諦めかけてもいたんですけど。昨日のことで思い直しました。やっぱり、そろそろ手を引くように働きかけないといけないって。たとえそれが徒労に終わったとしても、せめてあいつがどういった機関と繋がりを持っていて、どういった手段で調査に当たっているのかを知っておかないと、とにかく、私の気が済まないんです」
一息に本心を吐露するイザドラの言葉を、遮る者もいなかった。
切迫しつつある雰囲気に紛れてレイは、イザドラの心情を受け止めたエルシーの反応を観察する。以前までのエルシーであれば、イザドラの気持ちを尊重しつつも、自らも危険なことに関わろうとする必要はない、などと優しく諭していただろうと思われたが、今のエルシーはそうではない。
「手伝うよ、イザドラさん。私でよければ」
相談をもちかけたイザドラ本人でさえも唖然とするほどの気の早さで、エルシーは決断していた。レイは、彼女の返答が想定内であることに安堵するも、同時に焦りのようなものも感じ始める。自身が国を揺るがす大事件の関係者であると自覚し、このまま何も知らずに生きていくよりかは、知ろうとするべきだと奮起するエルシーに、確かにレイは賛同し、協力も辞さないつもりだったが、同じように知ることに全力を注ぐアルフレッドを気にかけるイザドラの姿を見ていると、その気持ちが揺らいだ。イザドラが不安視するように、エルシーもまた、すべてを知ろうとするあまり引き返せないところまで足を踏み入れてしまうのではないか、と。
「馬鹿ね。警察でもないくせに、あんたに何ができんのよ」
ネルがすかさず牽制する。エルシーは少しの間を置くが、笑ってごまかすようなことはせず、真正面から反論する。
「ネルちゃんの言うように、私がイザドラさんにしてあげられることなんて、たかが知れているのかもしれない。でも、イザドラさんのじっとしていられないっていう気持ちも、すごく分かる。分かってあげたいの。不安を抱えながら毎日を過ごすより、納得ができるまで行動を起こしたほうが、きっと気分は良くなるはずだから。もちろん、行動を起こしてもそれが必ずしも良い結果に繋がるとは限らないけど、それでも、自分の気持ちには正直になるべきだって、私は思うよ」
「だったら、何をどうやって手伝った気になるつもりなの」
言い返すネルの声には、明らかな動揺が含まれている。あのネルが、あのエルシーに押されているという希有な局面に、イザドラが加勢しないわけがなかった。
「さっき、私、アルフと女の人の会話は聞こえなかったって言ったんですけど、実は全部が全部そうってわけでもなくて。言葉の断片は、聞き取れたんですよ」
「何か、手がかりになりそうなことかな」
「あのふたり、言ってたんです。探偵、とか、事務所で落ち合いましょう、って」
誰にも聞きなじみのない言葉が場に放りこまれ、一同は沈黙し、思案する。先に口を開いたのはエルシーだった。
「探偵って、人捜しとかを引き受けてもらえる、あの探偵だよね。事務所で落ち合う、ってことは、その女の人は自分の事務所を持っている探偵さん、なのかも」
「短絡的ね。この女の証言も大して信用ならないってのに、それだけで決めつけるのはどうかと思うわ」
「あんたにだけは言われたくないけどね」
ネルとイザドラがいがみ合う最中、レイは雑貨店の新聞紙置き場へ移動し、適当な既刊を手に取った。それは、ユロック・タイムズ社が発行する最新号だった。国の現況や大小の分別なく国内で起きた事故や事件を報じる文章で埋め尽くされる紙面をめくり、私企業広告の欄へたどり着くと、所狭しと並ぶ広告群にひとつずつ目を通していく。何点か私立探偵業の紹介文が掲載されているが、それらのうち、ほかと比べてやや大きく区画を割かれていて、一際目を引く文面があった。
機関車と共に消えたあの子をさがしています
ユロック第七地区のリディア・ハート探偵事務所
ご連絡はこちらまで。直接のご来訪も歓迎
○○○-△△△-□□□
確信を得たレイは、一同のもとへ舞い戻り、この文面を見せた。レイは何も言わなかったが、レイが何を言いたいのか、全員が理解する。
「名前からして、女性だよね。この新聞の探偵業の広告の中で、女性はこの人ただひとり。しかも最初の、この一文」
「はい。おそらく、例の事故を指しているんじゃないかと。新聞社による規制を回避するために、直接的に事故を調べているとは書かず、読む人が読めばそうと分かる書き方。アルフが関わりを持とうと考えてもおかしくありません。巧妙なやり口です。この探偵事務所の所在地も、ユロック大学からそう遠くない場所ですし」
「あの子っていうのは、きっと、ネルちゃんと仲が良かったっていう」
「気安く仲が良かった、なんて言わないで。ただ、このリディア・ハートとかいう女がどこまで情報を掴んでいるのか、あたしも気になるわ。そこの女の彼氏がこの事務所に入り浸っているかどうかの是非はともかくとしてね。ご丁寧に直接の来訪も歓迎とまで書いてあることだし、明日にでも殴りこみに行くべきよ」
「殴りこみはやめようよ」
「でも、行くよね。レイ君も、ネルちゃんも、イザドラさんも、みんなで」
満たすべき条件は満たしており、一方で、否定されるような材料も現時点では出てきていない。
今のレイに、エルシーたちを止めるすべも、理由もなかった。
次の日、イザドラは朝から大学でいつものように講義を受けるが、教室に置いてある出席簿を見て、アルフレッドがこの日も大学に顔を出していないことを確かめてから、昼前には学校の門の外へ出ていた。レイとネルも、以前カレン・メルヴィルを尾行した時と同じ手段を用いてフリー・スクールを後にした。一同は、相変わらず客足がまばらなセヴァリー雑貨店へと集合する。それまで従業員としていつも通り働いていたエルシーは、デイジーに話をつけて半日休暇を得る。デイジーの困惑と疑問に満ちた視線を背に受けながら、一同はリディア・ハート探偵事務所を目指してユロックの町に繰り出した。
第七地区には低層から中層の建物がひしめき、複雑に入り組んだ路地がいくつもの交差を作り、まるで迷路のように張り巡らされていた。夜間には飲食店や酒場の営業が活発になり、人通りの絶えない歓楽街へと様相を変えるが、昼間はその逆で、人が暮らしている地域であるはずが、毛並みの乱れた野良猫や、粗雑に捨てられた廃棄物に群がる鳥や羽虫といった野生生物の存在ばかりが目立つ、さびれた町と化していた。夜の闇と店の照明が放つ強い光によってごまかされていた不潔な町並みが、白日の下にさらされている。
「バノックと比べてユロックの町って全体的に、こう、庶民の生活に即しているというか、あまり都会的ではない雰囲気があるなって前から感じていたんですけど、このあたりは特にそうみたいですね」
「要は、貧乏人のたまり場って言いたいんでしょ」
言葉を選んだイザドラの声も、言葉を選ばないネルの声も、静けさに満ちた昼下がりの路地では、ひどく明瞭に響き渡る。今にも近隣の住民から物を投げつけられたりしないだろうかと、レイは道中、ずっと落ち着かなかった。
リディア・ハート探偵事務所は、一目見てそうだと判別しやすいとは言いがたく、来客を歓迎するような雰囲気ではなかった。ところどころがひび割れた灰色の外壁に、内部を見通すことのできない曇った硝子窓がはめこまれている。事務所は建物の上階にあり、階段を登ってくるようにとの案内が書かれた小さな板が、階段の手すりに紐で括りつけられている。方角的に陽が当たらないためか、晴れた日の昼であるにもかかわらず、建物の入り口をくぐった時点ですでに薄暗く、見上げた階段の先はさらに暗い。何か目的がなければ、進入をためらわれるほどに閉鎖的な空間だった。
一同は一旦、歩を止めるが、ここまで来ておいて引き返すわけにもいかないと思い直し、暗い階段を上がり、事務所のある階へと移動する。代表してイザドラが傷だらけの扉をノックし、返事も待たずに突入する。
探偵事務所の室内は、レイやエルシーが暮らすアパート「アップル・ヤード」と同程度か、やや狭いぐらいの広さだった。依頼者の情報を管理しているのであろう書類の詰まった書棚が壁を背にしてひとつと、その横に観賞用と思われる植物が置かれている。部屋の中央には応接用の机と椅子、部屋の奥には事務机と椅子、部屋の隅には未開封の荷物が数点、それぞれ場所を占めているが、それ以外には目立った家具は配置されておらず、実際よりも広い印象を見る者に与える。外観とは対照的に清潔感が保たれており、人の気配を感じられる。
現に、そこには人間がいた。しかもひとりではなく、三人も。
「リディア・ハート探偵事務所へようこそ。お電話でのアポイントメントを頂いておりませんが、緊急のご依頼でしょうか」
まず、そのうちのひとりは当然ながら、この探偵事務所を経営するリディア・ハート本人だった。軽く体を動かすたびにふわりとたなびく金髪に、ふちの色が濃い眼鏡をかけており、初対面であるはずのイザドラたちにも臆せず笑顔で応対する姿勢を見せる、溌剌とした若い女性だった。
「い、イザドラ。しかもレイ君まで。どうして、ここに」
「それはこっちが聞きたいわ。説明義務を果たしなさい」
リディアの真向かいの椅子に座るもうひとりの人物は、イザドラの顔に目をやるなり表情を凍りつかせる、アルフレッド・デイトンだった。根拠は乏しいながらも、アルフレッドはここにいるものと半ば断定してこれまで行動してきただけに、一同は驚き以上に安心感を得る。が、イザドラはその直後、今までにためこんできた怒りと不安が爆発してしまったようで、リディアなどお構いなしにアルフレッドへと詰め寄った。
「ほう。ここまでたどり着くとはな。元気にしてたか、坊ちゃんに嬢ちゃん」
最後のひとりがそう言うと、無事にアルフレッドが見つかってほっとしかけたレイとネルを、急速な緊張が支配する。
ふたりがフリー・スクールの帰り道で声をかけられて以来、知られてはならないはずの事実を何もかも把握している要注意人物として記憶に留めていた、ユロック・タイムズ社に勤めているという新聞記者、ビル・ベインズだった。アパートの二〇一号室を訪ねてきた時にも、レックス・ベイカーに対して自分の持つ手札の種類と強さをちらつかせながら挑発的な発言を繰り返し、レイはレックスから、次に話しかけられても絶対に関わろうとするなと強く言いつけられていた。レイも当然そのつもりだったが、意図していなかったとはいえ、自分から接触することになってしまった。
しかも、ビルが今、最も接触を求めている人物を引き連れて。
「あの。失礼ですが、この子たちとはどういったご関係で」
レイとネルの様子がおかしいと察知したエルシーが、立ちはだかるようにしてビルと対面する。ハンチング帽と外套を脱いでおり、レイがこれまでに見知っていた姿とは異なるが、すべてを見透かすかのような目つきは健在で、むしろ覆い隠すものがなくなったことでその存在が顕著になっている。エルシーも、彼が単なる探偵事務所の事務員ではないことを感じ取り、思わず一歩身を引きかけるが、レイたちを守らなければという意志を胸にビルの顔を見据える。
対してビルはにやにやと笑いながら、その様子を眺めている。
「もしかして、あなたがエルシー・グリーンさん、ですか」
「そうですけど、どうして私の名前を」
「これは失礼。ユロック・タイムズ社のビル・ベインズです。北部コスタノア美術館占拠事件の被害者であるあなたに取材をさせていただきたく、以前、何度かお住まいへうかがったのですが、ご不在だったようで」
「私が見聞きしたことはすべて、北部警察の人たちに伝えました。あなたに話すことは何もありません。そもそも、会っていきなり要求する話の内容ではないと思います」
「どうか、誤解なさらないでいただきたい。さすがの私もこの場で取材を申しこむほど礼節に欠けた記者ではございません。ですが、なんの因果かこうしてお会いできたことですし、ご挨拶だけでも、と」
「結構です。それより私の質問に答えてください。この子たちとはどういう関係ですか」
「あなたほどの洞察力をお持ちなら、私が記者で、あなたに美術館の事件について聞きたがっていると明かした時点で、聞かずとも分かり得るかと存じますがね」
「はい、ちょっと待った。おしまい。一旦おしまい。休戦」
涙目になりながら追及の手を休めないイザドラと、言葉を詰まらせながらも弁解しようと努めるアルフレッド。
余裕に満ちた表情で相手を見下ろすビルと、恐怖心を押し隠しながらも明確な警戒を表して立ち向かうエルシー。
それぞれ緊迫するふたつの応酬は、やがて、事務所中に響き渡るほどの大声によってかき消された。
「あなたたちね、口論するのは構わないけど、ここ、私の縄張りだから。これ以上は外に出てやってもらいますよ」
探偵事務所の代表責任者であるリディアの制止と提案により、全員が中央の机を囲み、話し合いと説明、あるいは釈明の場が設けられた。
レイたちが想像した通り、アルフレッドは北部渓谷機関車鉄道事故に関する情報を得るために、ある時期からリディア・ハート探偵事務所に頻繁に出入りするようになっていた。きっかけもレイたちと同じく、ユロック・タイムズの私企業広告欄に掲載されている宣伝文を読んで興味を持ち、事務所の扉を叩いたことによるものだった。リディア自身も事故に対して疑念を抱いており、本業に並行して独自に調査を進めていた。すると、どうやらあの事故には生存者がいるらしいというところにまで行き着いたが、そこで行き詰まってしまったため、縋る思いで新聞広告を打ち出し、なんらかの形で新たな手がかりが舞いこんでこないかと待ち望んでいたのだという。
「僕の名誉のために表明しておくが、初めから当てにして訪ねたというわけではない。私立探偵が刑事事件の捜査情報を把握しているなどというのは、映画や小説の中だからこそ許される共通認識であって、僕も僕の期待する新事実が得られるなんてことは、欠片も想定していなかったからだ。まあ、組織で行動する警察と比べて、一個人で身動きの取りやすい探偵だからこそ掴み取れる何かがあるという意見にも、同意を示したいところではあるが」
奇妙な緊張感が漂っているからなのか、話の脱線を指摘する者は現れなかった。アルフレッドは、ばつが悪そうに自ら軌道を修正する。
「一方で、意味深い一文を新聞広告に掲載して、その真意が理解できる者だけをおびき寄せるという、危険度が高い上に決して相応の対価が得られるとは限らない手法を取っているのが、どうしても気にかかった。信用に値するかどうかを判断するのは、会って話をしてみてからでも遅くはないんじゃないかと思ったんだ」
「随分な言い草じゃない。私は、出会うべくして出会ったんだって、あなたに運命を感じていたっていうのに。あ、変な意味じゃなくてね」
緊張感をほぐそうとしたリディアだったが、結果として再びいたたまれない沈黙を作ってしまう。それでも彼女は、くじけず会話の続きを受け継いだ。
「ただ、私はアルフレッド君とは違って、ちゃんとした当てがあったから、事故の本格的な調査に舵を切ったのよ。ね、ビル」
いつの間にか会話の輪から外れて窓辺で煙草を吹かしていたビルが、肩をすくめることで返事の代替とする。
「彼とは昔からの仲でね。いわゆる腐れ縁ってやつ。彼が新聞社での仕事を通じて得た情報を、私に共有してもらっているの。ユロック・タイムズに我が探偵事務所の宣伝文が載っているのも、彼の協力のおかげよ」
「なんか、平気でとんでもないことを口走ってるけど。報道関係者が一般人に機密情報を横流ししてるってことじゃない。新聞広告掲載の口利きをさせてるってのもそうだけど、なかなか法的に危うい境界線の上に立ってるわよ、あんた」
「別に構わない。警察から煙たがられるなんて、いかにも探偵って感じで素敵でしょ」
「煙たがられるんじゃなくて、単に犯罪者として指名手配されるだけよ」
「それもまた一興ね。どんな窮地であっても最後には乗り越えて、依頼者の秘密を守り抜き、受けた依頼を成し遂げる。うん、むしろ私が理想とする探偵としての在り方だわ」
皮肉どころか、真っ当な追及すらも通じないことが分かり、ネルは閉口する。話し出す機会をずっとうかがっていたレイが、すかさず質問を投げる。
「依頼者、ということは、リディアさんはご自身の意思でなく、誰かからの依頼によって事故を調べているのですか」
「その誰かってのは、俺だよ」
煙草を吸い終えたビルが戻り、椅子にどっかりと座りこむ。煙の臭気を嫌って、リディアが露骨に表情を歪ませる。
「私が依頼者の秘密を守り抜くって言ったそばから、自分で喋っちゃうんだもの。世話がないわよ」
「俺がこのお相手さんがたに秘密を抱えるってのは、不公平ってものだからさ。つまりは、こうだ。俺が取材を通じて仕入れたネタを持ってくる。探偵嬢はそれを元に、ほかの連中とは違った側面から調査に当たる。加えて探偵事務所の広告を、少しばかり大きめの区画を取って出し、魚が針に食いつくのを待ち構える。たとえ釣果がなくとも、それだけで探偵事務所自体の宣伝にはなるだろうし、全国民が望んでやまない北の事故の真実を、事件記者である俺は特種として世間に発表し、名を売ることができる」
「そう、互助関係ね。ビルに新聞広告の掲載比率を操作する権限があるとは思わなかったけど」
「持ってるわけないだろ、そんな権限。社員として、日頃の上司への信頼と実績の積み重ねが成せる技さ」
「あら、そうなのね。あまり触れないでおいてあげましょう」
レイは、ビルとリディア、ふたりの様子を念入りに観察する。よどみのない会話ぶりからして、ふたりが昨日や今日に知り合ったというわけではなく、以前からの仲であることに偽りはなさそうだった。しかし、リディアの互助関係という表現には、いつまでも拭いきれない違和感がつきまとう。
「じゃあ、アルフも、私たちも、ものの見事に針にかかって釣り上げられた魚ってことですか」
イザドラが自嘲気味に言った。頭を垂れてうつむくアルフレッドの横で、ビルが今にも何かを言い出しそうに足を組み直すが、リディアがビルの発言を遮ろうとするかのように、慌てながらも即座に否定する。
「ごめんなさいね、この人、記者のくせに言葉選びが下手だから。つまり何が言いたいかっていうと、私たちは同じ方向、目的に向かって突き進む同志なのよ。さっきの話じゃないけど、私たちってたぶん、いいえ、きっと、一堂に会することは必然だったと言えるんじゃないかな」
「当面の目的は何。馴れ合う前に、まずはそれを確認しておかないと」
安易な仲間意識に刺激されて攻撃性を取り戻したネルが、出せる限りの低く、鋭い声色で聞いた。それでもやはり、リディアは動じない。
「ロブ・トウニー・ジョンの行方を追う」
「現状、どこまで掴めているの」
「事故が起きた日、北部コスタノア美術館に展示されている絵画を観に行くと母親のベラに言い残し、谷底に転落した列車に乗りこんだ。以降の消息は絶たれているけど、最近になって、どういうわけか国のあちこちで、まだ生きているんじゃないかという噂が立ち始めている。噂の出所は不明。写真などの顔が分かる資料はすべて中央部警察に押収されていて、彼を以前から見知っている人でなければ、彼を彼だと判別するのは不可能な状況」
「分かったわ。要するに、まだ何も掴めていないのね」
「そう、何も。だけど、取っかかりになる出来事が最近起きたのよ。北部コスタノア美術館が何者かに占拠され、最奥部の女神像が爆破されたって事件。その何者か、っていうのはおそらく《夜鷹》だろうと、私たちは見ている」
「えっと。取っかかりというのは、なんでしょうか」
完全に意欲を失い、ふてくされたように口をつぐむネルの代わりに、エルシーが尋ねる。
「これはビルが持ってきた情報なんだけど、美術館が占拠された日の夜、中央部の雑貨店から絵画が盗まれる事件が起きていた、と。しかも、北部警察が捜査に入り、美術館の被害状況を洗い出してみると、数ある美術品の中から、これまた絵画だけが美術館内から忽然と消え失せていた、と。ビルが言うには、ロブ少年が観たがっていたっていう絵が、北と中央で盗まれた絵の中にあるんじゃないか、と。ただの憶測でしかないと言ってしまえば、それまでだけど」
でもね、とリディアは机に身を乗り出して話を続ける。
「これまで夜間にしか行動してこなかったはずの彼らが、その決め事を破り、白昼に国立の美術館を占拠し、展示物を爆破するという大挙を立て、実行した。これをどう見るか。私は思うの。彼らは今、彼らの目的を達しようとするあまり、形振り構っていられない、差し迫った状況下にあるってね」
「それは、一体どういう」
「賭けてもいい。近いうちに、次の一手、二手が来る。手数が増えれば、彼らが尻尾を出す確率も上がる。そこを押さえつけるしかないわ」
「でも、《夜鷹》ってあの、国を騒がせている犯罪組織ですよね。それこそ、警察に任せておくべきだと思いますけど」
「ならば聞かせてもらうが、その警察とやらは助けてくれたのか。あんたの身に危険が及んでいる時に」
「それは」
先ほどの丁寧な言葉遣いが一切取り払われたビルの問いかけに、エルシーはとっさに答えようとしてしまうが、寸前で策略に気づき、押し黙った。レイはそこで、ビルではなくリディアの反応に着目する。示し合わせている様子はない。やはり、とレイは違和感を強める。ビルとリディアの間には、程度は不明ながら確かな情報の格差がある。
「別にこれはかばうとかじゃなくて、探偵の私が何を偉そうにって思われるかもしれませんけど。警察って何かと悪く言われがちですが、私は頑張ってくれてるなって思うんです。起きた犯罪に対処することはできても、未来に起きる犯罪を事前に阻止するなんてことはできるわけがないので、いつどこに現れるかも分からない、しかも集団で行動する組織をさっさと捕まえろだなんて、酷な要求ですよ」
「いえ、私、そこまでは」
エルシーは会話を続ける気力を失い、目線を下方へ落とした。イザドラとアルフレッドも気まずそうに黙りこみ、ネルに至っては、あからさまに顔の向きを他方へ背けてしまっている。
残されたのは、レイだけだった。
「事情は大体、理解しました。最後にいくつか、質問があります」
「どうぞ」
「近いうちに来るという次の一手とは、なんですか」
「私の読みでは、大陸縦断鉄道竣工記念式典の日に何か動きがあると睨んでいるけど。根拠はない。探偵としての、ただの読みだから。そのあたりの政治的な国の動向はビルが拾ってきてくれるでしょうから、必要であれば、あなたたちにも知らせるわ」
「分かりました。あと、もうひとつ。さっきの話を聞いていて、ロブ・トウニー・ジョンと《夜鷹》との間に、なんらかの関係があるとおふたりは考えているんだと僕は受け取ったのですが、それについても特に明確な根拠はなく、既知の事実から組み上げた推測なのでしょうか」
片時もビルの表情から目を離さずに、レイは質問を言い終える。
束の間、レイとビルの目が合ったが、先にそらしたのはビルだった。
リディアはビルに軽く目配せしてから、あっさりと答えた。
「そうよ。そうよね」
「ああ」
嗄れ声でそう返すと、ビルは咳きこんだ。
珍しい光景だったのかリディアが心配そうに見守っていたが、ビルは二本目の煙草を吸いに、再度、窓辺に立った。
リディア・ハート探偵事務所での話し合いにより、状況と情報が整理された。これから先、短くはない付き合いになるだろうからと、今後も定期的な情報交換の機会を作ることが取り決められたのちに、一同は解散した。結果的に協力してくれる人がまた増えた、などとただ単純に喜んでいたのはリディアだけで、ほかの者たちはそれぞれ異なる種類の、あまり前向きとはいえない心情を持ち帰った。
大陸縦断鉄道竣工記念式典の開催が、一週間後に迫る日のことだった。