北壁の女神像

 町の北部に位置するユロック刑務所に収監されている受刑者は、常時百名以上百五十名未満とされている。その半数以上は更生し、社会へ復帰することを目的として生活を送っているが、収容者全員が全うな方法による監獄からの解放を望んでいるわけではない。時には監視者の目をかいくぐり、牢を破ろうとする者も現れる。しかし刑務所の塀は高く、警備も厳重であることから、開設からこれまでに脱獄成功者が出たことはない。至極当然のことではあるが、科せられた刑期を終える以外に彼らが檻の外へと出るすべは存在し得なかった。
「どうなってんだっ」
 どこかの部屋のある受刑者が、納得がいかないというように床を拳で叩く。
 この日、刑期を終えて釈放を控える者がふたりいた。
 冷えた空気が底に滞留する地下の雑居房に、看守長が重い足取りでやって来る。暗い廊下を歩いていくのを、檻の中から受刑者たちが睨みつけるように視線で突き刺す。目的の部屋の前にたどり着くと、看守長はふたりを番号で呼び出した。
「出ろ」
 床に腰を下ろしていたふたりは、ゆっくりと立ち上がる。扉は解錠され、ふたりは促されるまま檻の外へ足を踏み出した。部屋に残される者たちの疑念と憎悪を背に受けていたが、ふたりの顔には噛み殺しきれていない歪んだ笑みが浮かんでいる。
「よろしいのですか、看守長。この者たちは」
「上からの命令だ。従うしかない」
 見回り役の看守が納得する間も与えずに、ふたりは無言で出口に向かう。
 ふたりのうちひとりは、看守長よりも頭ひとつ抜き出るほどの巨漢、もうひとりはやせこけた細身の男だった。彼らは、当初宣告された刑期の満了に半分も達さぬうちに釈放された。



 秋が深まり、北風は木の葉を枯らすほど冷たく吹き下ろしている。
 巨漢と細身の釈放と時を同じくして、中央部のユロックという町で小さな雑貨店を営むデイジー・セヴァリーは、エルシー・グリーン、ネルにレイと、その付き添いであるレックス・ベイカーを引き連れて、北部行きの列車に揺られていた。コスタノア美術館では故風景画家アンダーソン氏を悼み、彼の作品と人生を顧みる特別展示会が開催されることが決まっていた。美術館長の古くからの知人であるデイジーは、展示会の実行員補佐として声をかけられていた。雑貨店の従業員であるエルシーは単純に彼女の手伝いとして同行の義務があるが、ネル、レイ、レックスにはない。デイジーも連れてくるつもりはなかったのだが、ネルとレイの強い希望を受けて、手伝いの手伝いという名目で同行を許したのだった。
「人手が多すぎて困ることなんてないんだし、いくら元気でも、年を取ってきてるでしょ。介護よ、介護」
 デイジーに同行を頼みこんでいた時とは打って変わって、良い意味でも悪い意味でも相手を選ばない口調で、ネルは自身のわがままを正当化する。今にデイジーが怒り出すのではないかと一同はひやりとするが、当の彼女は澄ました顔で聞き流し、車窓からの景色の移ろいを眺めていた。
「間もなく、渓谷橋を通過します。安全のため、窓を開けておられるお客様はお閉めください」
 車掌が、客席を分断する通路を歩きながら声を上げる。
 窓際の席に座っていたレックスは、上下移動式の車窓枠を下ろして、隙間なく閉じた。開かれた窓の近くにいる他の乗客も、車掌の言う通りに窓を下ろしていく。
 和やかにふたりでおしゃべりに興じていたエルシーとレイは、話題が尽きたわけでもないのに会話を止めた。
 中央駅を発った蒸気機関車は、住宅街を抜けて郊外を突っ切ると、やがて広大な荒原地帯にさしかかる。北へ進めば進むほど、草木により彩られていた大地は鮮やかな色を失っていき、枯れ木と土ばかりの寂しい風景が長く続く。
 北部渓谷は、その先に存在する。
「ご協力ありがとうございます。この先は揺れますので、席をお立ちにならぬよう、お願いいします」
 車掌が乗客全員に向けて一礼し、客車を出ていった。
 レックスたちが乗り合わせた客車の乗車人数は少なくはなかったが、皆、車窓の外へ向けていた視線を車内に収めた。誰と誰とが示し合わせるというわけでもなく、無意識の静寂を作り出す。デイジーやレックス、エルシーもそれに倣い、手を組んだり、軽く目を閉じたりなどして、時が流れるのを待った。ネルだけがふてくされたように座席にもたれ、「くだらない」と口だけ動かして言っている。
 静寂により増幅された走行音が、より大きく、激しく乗客の耳を貫く。
 レイは、作られた脆い静寂を眺める。
 何が起こっているのか、またはこれから起きようとしているのか、何故このような状況になっているのか。なんとなくではあるが分かっていた。分かりたくはなかったが、分かっていた。
「本当に、行くんだな」
 レイがエルシーと共に、レックスにコスタノア美術館へ行くことを告げてから数日後の夜。ふたりきりになってから、レイはレックスにそう問われていた。その言葉に遠慮はなく、レイもまた、気を遣わずに答える。
「覚悟ならできています」
「そ、そうか。でもほら、あれだ。ある種の心的外傷ってやつが、お前にはあるのかなと思って」
「また転落するかもしれないという恐怖に襲われるのではないか、という心配であれば不要です。僕自身が事故に巻きこまれたわけではありませんから。再発防止の処置もされているでしょうし。僕は、鉄道橋の設計に関わった人たちを信用しています。憎んだりとかもしていません。もし、また落ちたとしても、その時は潔く死を受け入れるだけです」
「怖いこと言うなよ」
「怖いも何も、それしかないと思いますが。どんな人間も死ぬ時は死ぬんです。そんな簡単に死ぬわけがないと、以前は思っていました。あの事故が起きるまでは」
 レイは、悲しげではなく、本当は心の奥に潜んでいる悲しみを押し殺しているわけでもなく、そもそも悲しみをどこかへ置いてきてしまっている、そのように、レックスには思えてならなかった。迷いなく言い切る彼の覚悟を認めて、こうして北へ向かう列車に身を預けている。
 列車が鉄道橋の通過を開始した。
 言葉の通り谷間の橋渡しの役割を果たす北部渓谷鉄道橋は、鋼で組まれ、全体を鳥瞰すると弓なりに反った曲線を描いている。落成から数十年の月日が経過しているが、堅牢な造りであることに変わりはない。地に接続される橋の終点部に視線を集中させていないと、眼下に広がる無限の岩肌に目を奪われてしまいそうになる。北部渓谷は幅は狭いが溝は深く、のぞきこんだとしても蒼然と立ちこめる川霧に阻まれるため、地底を流れているであろう河川を橋の上から肉眼で確認することは不可能に近い。この奈落へ何かが落ちたとしても、何も分からない。誰も助けられない。そう思わせる深さがある。
 鈍い轟音が、車両の底から伝わってくる。
 想像以上の大きな揺れに、レイは戸惑った。軌条が車輪に擦れて発する振動とは、こんなにも激しいものなのかと動揺しながらも、再び客車内を回視する。
 彼の目に、あるひとりの老婆が映る。
 窓側の席に座り、膝の上に載るほどの小さな荷物を両手で抱えている。デイジーと比べてしまうとまるで活気のない、年老いた、みすぼらしい女だった。彼女の顔には、穏やかなようでいて、不安と恐怖とが見え隠れするかのような、陰を含む表情が浮かんでいる。荷物の上で組まれる手には、力は弱くとも決して離さないという意志が感じられる。
 まるで、神へ祈りを捧げているかのようだった。何処にいるとも知れぬ神への。
 レイにもかつて、神を信じていた時がある。



 橋を通り過ぎてからしばらく走ると、コスタノアの街並みが車窓の外に顔を出し始める。
 国には四季があり、冬が来れば雪が降る。気候にも地域差があり、南は暖かく北は寒い。この日も北上する鉄の車体は蒸気の熱と冷たい外気を同時に持ちこんでコスタノア駅に到着した。広大な駅舎を抜けて改札を終えた先に待っているのは、中央に噴水を設けた見通しの良い広場だった。階段を下ったその向こうには、明るいようでどこか暗い中央街のそれとは対照的な、深く濃く鮮やかな色味の建築物が複数立ち並んでいる。街に落とされる影が、楽器の鍵盤のように列を作っている。通行人は外套や防寒着を身にまとい、東西に大きく開けた道を足早に歩いていく。
 道沿いに、大型の車が停められていた。傍らには車の所有者である男が腕を組み、車に負けないほどの大きな体を寄せかけて立っている。レックスは階段を降りながら、男に手を挙げて呼びかけた。
「待たせたな、運転手さんよ」
 男はレックスと目も合わせないまま呼びかけに応じた。
「ああ。待った。いっそひとりで行っちまおうかと思った」
「まあ、そう機嫌損ねるなって。愛する奥さんから贈り物を預かってきたぞ。食い物や、生活用品とかだけどな」
「ふん。ありがとよ」
 レックスたちを見つけても、さほど変化の生じなかったそのしかめ面をほんの少しだけ緩めて、アーノルド・エイムズは妻のジェイミーからの贈り物を受け取った。
 アーノルドは北部警察に所属している。仕事の都合と本人の意地により、ジェイミーと結婚してからも部署異動を希望せず、コスタノアの街にひとり留まり暮らしている。デイジーに同行すると決まってから、レックスはアーノルドに連絡を取り、駅から美術館へ向かうための移動手段として車を出すよう頼んでいた。もしかすると断られてしまうかもしれないと思っていたレックスだったが、予想に反してアーノルドはすんなりと彼の要求を聞き入れ、美術館催事手伝いの一員として加わることになったのだった。
「アーノルド・エイムズさん、ですね。デイジー・セヴァリーです。ご厚意に甘えさせてもらいます。それも私ひとりのみならず、連れの者まで。ご迷惑をおかけしますが、よろしくお願いします」
「構いません。俺も友人に会いたかったので、そのついでです」
「なんだなんだ。嬉しいこと言ってくれるじゃねえか」
 レックスは屈託のない笑みと共にアーノルドに軽く肩をぶつけて、友好の意を示す。アーノルドはぴくりとも動かなかったが、嫌がる素振りも見せなかった。
 レックスの後ろに隠れながらアーノルドの巨体を見上げていたレイは、控えめながらも顔をのぞかせて挨拶する。
「レイです。夏にお会いした」
 アーノルドは、レイを穏やかに見つめ返す。
「おう、また会ったな。少し背が伸びたんじゃないか」
「親戚のおじさんみたいなこと言ってんじゃねえよっ」
 レックスに先ほどよりもやや強めに体を当たられて、アーノルドは元のしかめ面に戻る。事情を知っているエルシーとレイはおかしくてたまらないという風に、何も知らないデイジーとネルは怪訝な様子で、それぞれ顔を見合わせた。
 アーノルドが運転する車に乗りこみ、一同はコスタノア美術館へ向かった。駅の真北、街の最果てに位置しながらも、国内最大規模の美術館として数多くの文化的所産を保有しているこの美術館は、外観を初めて目の当たりにする者を皆、圧倒させる。
 雲をも貫くような高さがある。
 白く強固な外壁は、町全体を覆いこむかのように大きく、横にも伸びている。
 張り出す庇は整然と横列する石柱によって支えられているが、入り口には不自然なほどに広大な空間が取られている。アンダーソン氏の追悼展開催を知らせる垂れ幕が、柱と柱の間を埋めるように下げられていた。
「なんかさ、美術館というより」
「神殿みたいですね。入るまでに何十段も階段があれば完璧だったんですが」
「嫌なこと言わないで。こんなに時間かけてたどり着いたってのに、階段なんて、絶対上りたくない」
「同感だ。それに、階段なんかで高く見せなくたって、立派な建物だろ」
「そうね。この建物自体、歴史的遺産として価値のあるものだから。ここに来るまでの道を見ても、それが分かるでしょう」
 駅周辺の入り組んだ街路の先、最果てへと繋がる大きな一本道が伸びていた。車はその一本道をただひたすらに北上し、皆、だんだんと大きくなっていく美術館を見つめていたのだった。
 車を停めて、一同は大地の上から建物を見上げる。レイとネルは見上げすぎて、ひっくり返ってしまいそうになる。
「どうしてこんなに高くて大きいんですか」
 レイが素朴な疑問を投げかける。アーノルドが答えた。
「簡単な話だ。あの馬鹿でかい女神像を、建物の中に収容しないといけないからな」
「女神像、ですか」
「そう。北壁の女神像」
 美術館の最奥部に位置する部屋に、巨大な女神像が設立されている。像は国の最北端を示し、屋内設置物でありながら街の陸標として扱われている側面もある。
 アーノルドの収容しないといけない、という表現が引っかかり、レイは首をかしげる。
「この美術館はね、女神像よりも後に建てられたんだよ」
 レイの疑問を汲み取ったのか、デイジーが入り口へ歩を進めながら回顧する。
「いつ誰がどうやって、なんのために造ったのか、何も分からない。ただこの国の最後の場所に、北の岩壁の隙間を塞ぐかのようにして、女神像があったんだ。美術館を建て、後からその中に像を運び入れたのではなく、初めからそこにある像を雨風から守るために三方の壁で取り囲んでいき、やがて建物は美術館として機能するまでに至った」
「それって、どれぐらい昔の話なの」
「さあね。でも物心がつく頃には、あったような気がしているよ。美術館も、女神像も」
 開け放たれた門扉をくぐると、正面にはさらに巨大な門が待ち構えている。
 向かって左手、受付員を奥に控える木製のカウンター・テーブルが設置されているだけで、ロビーには休憩用の椅子やソファーなどもなく、それだけでは殺風景な印象を与えかねないが、室内に薄明るい光を落とす装飾的なシャンデリアが天井から吊り下げられており、高貴かつ静謐な空間を作り上げるのに一役買っていた。艶やかな光沢のある石材の床は、歩くと明瞭な靴音がして、レイは、まるで自分までもが格式高い人間になったかのような感覚に陥る。
 デイジーが受付員に来訪を伝えて間もなく、館長とその付き人らしき職員が一同を出迎えた。早速設営の手伝いが始まるかと思われたが、デイジーがレックスたちに頼んだ仕事といえば、アーノルドの車に積まれていた荷物を控え室に搬入するぐらいで、後は特にすることがなかった。
「みんな、ありがとう。あとはもう大丈夫だから、美術館の中でも回っておいで」
「あの、セヴァリーさん、私は」
「エルシー、あなたもよ。この国が歩んできた歴史、生み出してきた芸術を、目に焼きつけてきなさい。それがあなたの、いいえ、あなたたちの仕事です。入場料は全員分払っておいたから」
 展示会の打ち合わせをするために、デイジーは館長と付き人たちを引き連れて関係者室へ消え、「手伝い」をしに来たはずの一同はロビーの中央にぽつんと取り残される。
「あのご婦人、なかなか侮れんな」
 初対面であるはずのアーノルドも、彼女の思惑に舌を巻く。デイジーは初めから、彼らにつきっきりで催事の手伝いをさせるつもりはなかった。アーノルドを除く彼らには、コスタノア美術館に来る確固たる目的を持っていて、それを彼女は理解していた。
「いいのかなあ。本当に」
「言ってたろ、遊びじゃなくて仕事なんだ、これは。素直に従っとこうぜ」
 アーノルドが受付員から美術館の案内図を貰い、全員に配った。
 ロビーから、四方向に通路が伸びている。一方は入ってきた入口、その反対方向には巨大な門、先を行くと女神像が建つ美術館最奥部に繋がる。門は通常、開放されていないようで、正面切って最奥部に向かうことはできない。左右の通路を進めば、各美術品の展示場に続いていて、それぞれの突き当たりから反対方向に回りこむことで、楕円を描くかのように館内を一周することができる構造になっている。楕円の直線部分はロビーの門の向こう側に交わっている。女神像を観覧するためには、館内をぐるりと一回りしなければならなかった。
 レックスの提案により、二手に分かれて美術館を回り、最奥部前で合流することになった。レックスはアーノルドと共に向かって左側の通路を、エルシーはレイとネルを連れて向かって右側の通路を進んだ。
 レックスたちが最初に鑑賞したのは、アンダーソンが遺した数点の風景画だった。
 彼の描く絵に、多様性は見られない。画布の奥に置かれた消失点から出現する黒檀の蒸気機関車を、車体、走行路、背景すべての輪郭をぼかし、全体を淡い色使いで統一することで、意図した不鮮明さで描画している。空も明色により彩られてはいるものの、その絵を鑑賞する者には遍く暗愁がもたらされる。ただし、アーノルドという男を除いては。
「この絵を描いた男も、《夜鷹》だったんだろうか」
 アーノルドは腕組みとしかめ面で絵を見ている。それは完全に刑事という職業からの視点であり、彼に絵画を芸術として鑑賞する気はないようだった。
「それはねえよ。さすがに、仲間同士で殺し合うなんてことはしないだろ」
「む、そうか。すまん」
「どうしてそう思ったんだ」
「暗い絵を描く男だなと思ったからだ」
「悪いのかよ、暗くて。俺は好きだけどな、この人の絵。見てると悲しくなるけど」
「悲しくなるから、好ましいと思うのか」
「悲しくなるから悪い絵ってわけじゃないだろ。こう言うのもなんだが、イーグルの機関車に明るさは似合わないと思う。心象がどうとかじゃなくてさ。なんていうか、その。こういう時、なんて言うべきなのか、分からん」
「いいさ。分かる。分かってやるよ」
 言葉は出ないまま、飾られている絵を順番に見ていく。芸術の知識は乏しいレックスだったが、なんらかの意思の下に描かれた絵を、ただじっと見ているのは嫌いではなかった。アーノルドも強い関心こそろくに寄せなかったが、退屈さを露わにすることも、文句を垂れることもなく、それに付き合う。
「あいつとはうまくやれているのか」
 ある絵の前にふたりで並んでいる時に、アーノルドが顔も反らさず問う。それは問いと呼ぶには語調が下がりすぎていて、ただの独り言とも捉えられかねないほどに小さな声だったが、人は多くとも環境音の抑制された展示室の中、レックスは聞き逃さない。
「あいつって、レイのことか」
「そうだ」
「仲は良いと思ってるよ。向こうが俺をどう思ってるのか、本当のところは知らんが、嫌われていれば、一緒に住むかと言われて首を縦に振りはしないだろうからな」
「なんのために一緒にいる」
 会話が中断されるが、ふたりとも互いの顔色をうかがおうとはしない。二方向の視線は、壁にかけられた悲しい絵に注がれている。
「保護者だからだよ」
「答えになっていない」
「なってないことない。どれだけしっかりしていたって、ひとりにしておくわけにはいかないだろ。あいつも中央に残りたいって言うし」
「見くびるなよ俺を。それだけが理由なわけがないんだよ」
 次の絵の前に移動する。
 またひとしきり、黙って見ている。
「悪い」
 聞こえようと、聞こえまいと構わないのか、レックスの返事は静けさの中ですら響かなかったが、アーノルドの耳には届いた。アーノルドもそれに合わせるように、もともとあまり大きくもない声量を、ひと際絞る。
「なんの謝罪だ」
「教えられない。お前の考えている通りだ、理由がある。でも今のところは、俺とレイの、ふたりだけの秘密にしておこうと思ってて」
「『しておこうと思ってて』って、なんだ。示し合わせているのか」
「いや。特に、喋らないでとも、喋っても構わないとも言われてない。何も言われていない。俺も、何も言ってない」
 アーノルドにだけは教えてしまおうかとレックスは思ったが、実際に打ち明けるまでには至らなかった。
「不確定な情報であり、公表する前に真偽を確かめる必要があるってことか」
「まあ、そうだけど。お前、さてはもう知ってるな。レイから強引に聞き出しただろ」
「するわけないだろう、そんなこと。ただでさえ怖がられているのに」
「嘘つけ。懐かれてたぞ。この、仲良しめ」
「お前ほどじゃないさ。今のところは、な」
「なんだよ、今のところは、って」
 芸術鑑賞には似つかわしくない雑談になってしまい、レックスは我慢できず静かに笑いをこぼす。モリー・アンダーソンの事件の捜査が本格化して以降、ふたりは業務外でまともに口をきいていなかったし、彼女に関する捜査が終了し、アーノルドが北に帰る時も、ふたりは別れの挨拶を交わさなかった。それでもこうして再会し、自然と他愛ない会話が生まれる。そんなことは当たり前だからと一笑に付し、感謝を言葉として口には出さずとも、それが自分にとって貴い時間であることを、レックスは忘れない。
 たとえ、あと数時間もすれば、しばらくの間、ふたりが会えなくなることを知らなかったのだとしても。



 美術館の中で初めに異変を察知したのは、レイだった。
 異変といっても、その時点ではあくまでレイの主観によるものであり、一目見て分かるような変化ではない。初め、入館した時、ロビーに人はまばらだった。しかしレイがレックスと別れて展示室に移動してから、急に人の数が増え始めた。後からやってきた者たちに外見上の共通点はない。服装はもちろん年齢や性別も多様で、単独で行動する者もいれば複数人で動く者たちもいる。エルシーとネルは単に来館者が増えてきたとしか思っておらず、事実そうだったので、構わず鑑賞を続けた。人が多い場所が苦手だという以前に、レイの頭には何故か不安がよぎる。理由は明確には説明できないのに、あまり長居をすべきではないと直感が訴えてくる。しかし入ったばかりの美術館から理由もなしに出たいとも言い出せず、増大する得体の知れない不安から、レイは目を背けて先へ進んだ。
 レイたちが足を踏み入れたのは複数の作者による作品群が連なり並ぶ大部屋で、端から端まで芸術品で埋め尽くされているという壮観な光景が広がっていた。ネルはひとつひとつの展示物を食い入るように見つめては、目当ての絵ではないと分かると即座に見限り、さっさと次の作品へ移ってしまう。エルシーとレイも彼女を追うようにして、同じくひとつずつ展示物を見ていった。
 ネルが、とある絵の前で立ち止まっていた。
 大部屋の一角に小さく飾られている、あまり主張のない油彩画だった。順路を行く人は皆、わずかの間目を向けるだけで、そこにはネル以外の誰も留まっていなかった。レイとエルシーは彼女の後ろから、そっとその絵をのぞきこむ。
 橙の空、数本の暗然たる枯れ木が心許なく連なる寂しい夕景が、浅黒く変色した帆布の一面に描かれていた。
 景色の片隅に、一羽の鷲が佇んでいる。
 体は大部分が暗褐色の羽毛に覆われ、翼は折り畳まれている。かたく強張っている羽毛の下では、力強い趾足が横に倒れた樹木の幹を文字通り鷲掴みにしている。それ以上にこの絵を見る者の目を引くのは、鷲の眼だった。嘴が手前に向かれ、左片側しか画面には描写されておらず、遠目にはただの黒い点でしかなかったが、曇りなく、光すら差さない黒は、背景が作り出すうら悲しさを吹き飛ばしてしまうほどの力を宿している。
「怖いね」
 エルシーが有り体の感想を述べる。ネルとレイはまともに聞いていなかった。
 ふたりは額縁の中にある眼を、怖いとは思わない。
 何かを睨んでいることは確かだった。その何かが、具体的にどういうものなのかは分からない。獲物かもしれないし、人間かもしれない。だが瞳の奥にあるのは、動物が普遍的に持つ敵意や警戒心だけではないと、ふたりは感じる。
「この絵だ」
 なんの根拠もない、直感による断定だったが、ネルの言葉に迷いはなかった。
「あの人、きっと、この絵を見たかったよ」
「どうしてそう思うの」
「さあ。どうしてだろう。確信はあるのに」
 通常、展示物にはすべて題と作者の名を刻む銘板が近くに掲げられているが、この鷲の絵に名は冠されていなかった。名もなき絵だった。描いた者が誰であるかも示されていない。
 示されておらずとも、レイには分かっていた。
「強いて言えば、この絵ぐらいだからかな、まともに見られるのは。絵なんて、全部くだらないと思ってたけど」
「ネルが何かを褒めることがあるんだね」
 ネルへ軽口を叩き返すのがやっとで、レイは疑念を覚えたり、別の可能性を考慮したりなどする余裕を残してはいなかった。
 この絵が描かれているところを見た憶えがある。
 夕陽の射す教会の内陣に腰かけて、ひとり、支えのない画布に筆を走らせる男がいる。
 男の背後、少し離れた場所から、絵が完成に向かっていくのを眺めている。
 視線に気づいている男は、時折、鬱陶しそうに顔を上げて、にこりともせずまた絵に向き直る。しかし見るなとも、どこかへ行けとも言わなかった。
 記憶の断片は、いつもここで打ち切られる。
 幾度となくその光景を目の当たりにしてきたが、絵が描き上げられる瞬間には、決してたどり着かなかった。たどり着けなかった。
「僕、この絵を描いた人を知ってる」
 震える身体を抑えこみ、レイが記憶の扉に手をかけた時。
 銃声が響いた。
 追憶を阻害する爆音に、レイの心臓は跳ね上がる。エルシーやネルも驚愕を隠しきれず無防備に動揺し、音の鳴ったほうへ振り返る。
 彼らは、銃声をも凌駕する恐怖を目の当たりにした。
 来館者の誰も、音に驚いていなかった。
 銃弾が放たれることを皆、初めから分かっていたとでもいうように。
 来館者たちは、一点にレイたちを見つめている。彼らの表情には笑顔も怒りも存在せず、そこに立っていて、目は見開かれているにもかかわらず、生気が感じられない。人間ではないのかもしれないという、現実離れした予感がレイの頭をよぎる。ただの観覧客であるはずだった者たちが、まるで美術館の展示物として人形に変わってしまったかのようだと思った。
 彼らは人形ではなかった。
 銃火の主は、黒服の男だった。右手に収まる銀の銃身を持つ回転式拳銃から射出された弾丸が、展示室の天井を撃ち抜いていた。微かに残る硝煙を払うかのように銃を振り下ろし、空を切る。
 男は一発の銃弾を放ったばかりであったが、すぐさま二発目を発射する標的を見据える。
 そこにはエルシーがいた。
 自身に銃口が向けられていることをエルシーが理解するまでの間に、来館者たちがじりじりと円を形成するように彼女を取り囲んでいく。円の中には当然、レイとネルもいる。
「エルシー・グリーンさん、ですね」
 黒服の男は、標的に歩み寄っていく。
「驚かせてしまい申し訳ありません。しかし、こちらも形振り構ってはいられないのです。大丈夫。抵抗せず、こちら側の要求に従ってもらえれば、危害は加えません。連れの少年と少女、それから、警察官のふたりにもね」
 黒服はエルシーを追い詰めると、彼女の背中に銃口を押し当てて先を歩くよう促す。あまりに非現実的な出来事であるために、抵抗できない、抵抗しようとも思わないどころか、自分の意思で体を動かすことすらままならない。背後に感じられる筒状の鉄の物体が逆らいようのない恐怖と化して、エルシーを支配する。
 レイもまた、何もできずにその場に立ち尽くすしかなかった。不安の正体は明らかとなったが、それはひとりで立ち向かうにはあまりに分が悪い相手だった。
 せめてネルだけは守らなければと思い、彼女を背に回し来館者たちになけなしの敵対心を表明するが、誰も見向きもしなかった。彼らの目的はエルシーを連行することのようで、黒服とエルシーを取り巻く来館者たちも、後に続いて部屋から姿を消した。レイとネルは展示室に取り残された。
「あたしたちには、拉致する価値もないってことね」
 ふたりだけになった展示室に、ネルの空威張りが虚しく反響する。拉致という彼女の言葉が、ぼう然とするレイを現実に引き戻した。今、自分の目の前で何が起こったのか、どのような出来事が繰り広げられたのかをまず、反芻する。
「あの人が。エルシーさんが、悪い人たちに連れていかれた」
「そんなこと分かってる」
「どうして」
「そんなの分かんない」
「分かんないじゃなくて、考えるんだ」
「考えるったって、どう考えるってのよ。わけが分からないじゃない。なんなの、どういうことなの」
「落ち着くんだ、ネル」
 不思議と、レイは声を荒げずに済んでいた。衝撃を受けなかったのではなく、意図して平静を装っていた。そうでもしなければ、絶え間なく膨張する恐怖に浸食され、体が千切れてしまいそうになるからだった。なんとか持ちこたえるには、思考を巡らせ続けなければならなかった。
「あの、黒い服を着た男の人」
「いきなり銃をぶっ放した、頭のイカれた男でしょ」
「『こちら側』って言ってた。自分、というか、自分たちのことを」
「周りのやつらも男の仲間だったのよ。最初からあの女目当てで、観覧客を装って美術館に詰めてたってわけ。大胆な真似してくれるじゃない、それもあんな大所帯で。まるで」
 ネルが小さく素早く息を吸いこむ音が、レイにも聞こえた。
 ふたりの脳裏に、ある犯罪組織の名が浮かぶ。
 口に出して確かめ合わずとも、それを共通認識として会話を続けることができる。
「ネルも、そう思うんだね」
「い、いや。ないわ。だって、あいつらって、夜にしか行動しないんでしょ。何よ、今回の件は例外だとでもいうの」
「昼間に実行しなくちゃいけなかった理由が、あるのかもしれない」
「こんな辺鄙な場所におびき寄せなくったって、やろうと思えば中央でだって連れ出せるでしょ。あんな、ぼろアパートの鍵のひとつくらい、ちょっとした道具か何かで簡単にこじ開けられるだろうし」
「ここで、このコスタノア美術館で実行しなくちゃいけなかった理由が、あるのかもしれない」
「他の誰でもないあの女を、わざわざ決まりを破ってまで、しかもこんな北の最果ての美術館で拉致しなきゃいけない理由って、何」
「それは、まだ分からない」
「あんたっ、あたしに分からなくても考えろって偉そうに言ったくせしてっ」
 恐怖と混乱に耐えられないのか、ネルは怒りを制御できずにいる。その動揺は、レイに落ち着きを取り戻させた。
「銃の男は、こうも言っていたね。『抵抗せず、こちら側の要求に従ってもらえれば、危害は加えません。連れの少年と少女、それから、警察官のふたりにも』。僕たちのことを、あまりに知りすぎていると思うんだ」
「知りすぎている、って、何その表現」
「僕らふたりと、僕らと離れて行動しているはずのふたりの男性が警察の人間であること、かつ、標的の関係者であることを把握していた。情報収集に長けた人員がいたのか、あるいは」
 レイが必死に平静を装うのに倣い、ネルも考える時間を設けてから言葉を発するようになる。
「あたしたちの近しいところに内通者がいた、とか」
「内通者って言い方は、ちょっと大げさかもしれないけど。情報提供者でもいなければ、この広い国内の一個人と、その周囲の交友関係を本人に悟られないように探るのって、なかなか骨が折れる仕事なんじゃないかな」
「誰なの。誰が情報を流したの」
 レイは今度は「分からない」とも言わなかった。
「話をしたいけど、まずはここから動かないと」



 反対方向の展示室で響いた銃声を、レックスとアーノルドも耳にしており、すぐに異状と判断するに至った。また、さほど色めき立っていない周囲の観覧客の反応にも違和感を覚える。ふたりでロビーへ戻るべく、踵を返した。
「よお」
 レックスが、もう二度と聞くことはないと思っていた男の声が、背中越しに届く。
 反射的に振り向き、男の姿を確認する。
 その男は室内であるにもかかわらず黒眼鏡をかけていたが、レックスが自分の姿を見て表情を硬直させると、にやりと笑ってからそれを外した。
「久しぶりだな。忘れたとは言わせねえぜ」
 忘れるわけがない。
 自然とレックスはそうつぶやいていた。急速に高まっていく緊張を、少しでも抑制しようとするために。
 成人男性の平均身長を遥かに上回る巨体に、明らかに大きさが合っていない黒の上着が羽織られている。ぎらつく瞳は、見る者すべてに精神的重圧を与えそうなほどの気迫を帯びている。
 レックスが、レイと初めて出会った日。夜行列車を乗っ取った、男のふたり組のうちのひとりの巨漢。逮捕後の取り調べには立ち会っていなかったが、報道によりレックスは男の名前を見聞きし、記憶に残していた。
「キングスか」
「へえ、俺の名前も知ってんのか。光栄なことで」
 ただ事ではないと察したアーノルドが、臨戦態勢に入る。対するキングスは、面白くなってきたとでもいうように歯を見せてにたにたと笑い、固く握られた拳に呼気を吐きかける。使いこまれた拳鍔が、彼の両手に装着されていた。鋭利な棘の先端には、何度も吸った鮮血を粗雑に拭き取ったのか、かすれたような赤黒い跡が残っている。
「銃声、聞こえただろう。俺の仲間が、お前さんの愛しの女を預からせてもらった」
「残念だが、俺にそんな人はいない」
 深く考えずともエルシーのことを指していると分かったが、動揺を見抜かれないようにすぐさま言葉を投げ返す。キングスは面白くなさそうに唇を曲げる。
「そうかい。まあ、あんたにとってあの女がなんなのかなんて俺の知ったことじゃないさ。俺は飼い慣らされた猛獣、上の命令に従うだけだ」
「こっちだってどうでもいいけど、お前、自分で言ってて恥ずかしくないのかよ。飼い慣らされた猛獣って」
「事実だからな。俺は、俺が気に食わねえものを全部ぶっ壊したい。だが俺ひとりでは限界ってもんがある。願いを叶えさせてくれるのなら、なんだっていい。誰にだろうと尻尾を振ってついていくまでよ」
「ふん。小物が」
「なんとでも言いやがれ」
 レックスがキングスと言い合っている中、アーノルドは周囲に注意を向けた。
 レックスがレイと知り合うきっかけとなった機関車強奪事件は警察組織全体で情報が事細かく共有されており、当然アーノルドの耳にも入っていた。少年レイを車体の上に連れ去った主犯格が二名、そのうちのひとりが今、目の前にいるキングスという男で、事件当時、隣にはもうひとりいた。後にレックスが「細身」と表現していた男の顔写真を、アーノルドも事件資料に目を通した際に確認している。ざっと見渡す限りでは、この西側の展示室にいる観覧客の中に、その細身の姿はないようだった。
「おっと。お探しのところ悪いが、トマスならここにはいない」
 先手を取るようにキングスがあっさりと明かしたのが、細身の名だった。
「じゃあ、ここにはお前ひとりってわけだ」
「そうでもないんだな、これが」
 レックスの牽制にもキングスは平気な顔をしている。
 室内を浸食しつつある欺瞞的な空気を、アーノルドは感じ取らずにはいられない。
「おい、レックス。まずいぞ」
「何がだよ」
「俺たちは、罠に落ちたんだ」
「なんだよ、罠って。むしろ不利なのはこいつだろ。前科持ちの人間がこんな目立つ場所で騒ぎを起こせば、次はいつ檻の外へ出られるか分かったもんじゃない。まずは今の発言が本当なのかを確かめる。少しでも妙な真似をしたら、すぐに北部警察へ連絡を」
「そういうことじゃない。周りをよく見ろ」
 レックスがキングスの後方へ焦点を合わせる。観覧客のひとりと目が合う。もうひとり、またもうひとりと、観覧客からの視線を一点に受けていることを確かめていく。
 そこでようやくレックスは、自らの置かれた状況を理解した。
「な、なあ。アーノルド。まさかとは思うんだが、こいつらって」
「ああ。どうやら全員、共謀者(グル)のようだ」
 この部屋だけではなかった。キングスの口ぶりからして、レイたちが向かった展示室にも、観覧客に扮した仲間が待ち構えている。そのうちのひとりは銃声を響かせるという手段を用いて、エルシーの身柄を拘束した。もしここで抵抗したり、美術館の外へ逃げ出したりなどしようものなら、エルシーたちの安全を脅かす算段であることは、冷静な判断力を失いつつあるレックスにも容易に想像できた。そもそも多勢に無勢なので身動きすらまともに取れそうにない。キングスや取り巻きが、拳銃を隠し持っている可能性も考えられた。
 キングスが、館内の全体に響き渡るかのような、けたたましい笑い声を上げた。
「そう身構えんな。大勢でたったひとりを囲んで痛めつけようとか、そういうつまんねえやり方はしないでおいてやるからよ」
 もう観覧客ではなくなったキングスの仲間たちは、レックスの真横を通過して、ロビー方向へ展示室を出ていく。
「おい、そのがたいの良いほうは連れていけ。控え室にあのばあさんと一緒に閉じこめておくんだ」
 アーノルドは、五、六人以上の人間に囲まれる。無理な抵抗は避けるべきと判断したのか、アーノルドは誘導に従って部屋を出た。がらんとした空間に残るのは、ふたりの男と彼らの静かな息遣いだけだった。
「これで邪魔者はいなくなった。へへ。会いたかったぜ、レックス・ベイカー」
「俺は二度と会いたくなんかなかったよ」
「そんなことを言わないでくれよ。いつかお前をこの手で叩きのめして、あの日の仕返しをしてやろうとずっと心に決めてたんだから」
 あの日、走り続ける夜行列車の上で、レックスはキングスからレイを救い出した。レックス自身、警察官としても、犯罪者とはいえ過度な制裁を加えることは本意ではなかったが、人質を安全に保護するために、やむを得ず気絶に至る程度の肉体的打撃を与えた。キングスは機関車強奪が未遂に終わり逮捕されたことよりも、自分に比べて小さい体の男に打ち負かされたという事実に屈辱を覚え、こうして再び対面の機会を作るほどに、恨みを募らせているのだった。
「でも、それだけのために、あんなに多くの仲間を集めたというわけじゃないだろう」
「どうかな。俺はお前さえぶちのめすことができれば満足さ」
「つまり、お前は俺を足止めする役割を与えられているってわけだ。別の場所で、別の人間が、ある目的を遂行するために」
「なんのことだか」
 本人はとぼけているつもりでも、図星をそうと悟られないように振る舞えるほどキングスは器用な人間ではなく、レックスの真正面から殴りかかることで、対話を強引に打ち切った。
 破壊を求めて振り下ろされた拳鍔が、身体のすぐ横を掠めていく。
 光沢の照り返す美術館の床に、まだ、血は流れなかった。
 キングスの理性を失った大振りな攻撃は、レックスにとって脅威ではなかった。人混みが解消された展示室の広さも、レックスの回避行動を助けていた。その後も繰り返される連撃を、しばらくの間、かわし続けていく。動きが読めるようになってくると、対話を再開するほどの余裕も生まれてくる。
「お前、本当に刑期を終えたのか」
 返答の代わりに拳が飛んでくる。銃などの遠隔武器を所持していないという確証さえ得ることができれば、距離を取り、直接攻撃そのものを封じられるが、分厚いジャケットの上から目視するだけでは判断がつかない。
「あの事件から、一年も経っていないじゃないか。まだお前は出てこられないはずだ。どんな手を使った」
「知るかよ。ムショで良い子ちゃんしてたから、じゃねえの」
「まさか脱獄か」
「ちげえって。大手を振って、出させていただいたのさ。見張り番たちの間抜け面を横目にな」
 しかし回避は、そう長くは続けられない。レックスはいつしか、部屋の端へと追いやられていた。キングスの拳が、頑丈に造られているはずの内壁にめりこみ、鈍い音を立てると、縦に大きな亀裂を走らせる。もしあれが自分の肉体に直撃したらどうなるのか、凄惨な想像図でレックスの頭の中は埋めつくされ、今の、とても有利とはいえないこの危機的状況が急速に現実味を帯びてくる。
 いつまでもこうしてはいられない。
 この闘いは、致命傷を負う前に先手を打たなければならない。レックスは決断する。
「そうか、なるほどな」
 わざとらしい作り笑いから、危険な賭けは始まった。
「お前の言うこと、信じてやるよ。確かにお前は真面目に罪を償い、更生しようと努力してきたらしい」
「何が言いたい」
「檻の中から出てきたばかりで、体が鈍っているんじゃないか。あの時より遅いぜ、遥かにな」
 鼻息が荒くなる。
 額に血管が浮き出る。
 血走った目に、ひとりの男を必ず仕留めるという意志がみなぎる。
 たとえ稚拙な挑発だったとしても、攻撃することしか頭にないキングスには効果をもたらしたようで、拳はより大振りに、動きにはより大きな隙が生まれつつあった。等間隔を空けて飾られる絵画の、まさにその間の空白に、拳鍔によって作られた衝撃痕が、ひとつ、またひとつと増えていく。
「やっぱりだ」
「なんだよ、また俺を小馬鹿にする気かっ」
「いくら頭に血が昇っていても、飼い主の言いつけはきちんと守るんだな」
 レックスは、ある絵画を背に立つ。
 キングスはその真正面から、憤怒をこめた拳を振り上げる。
 一秒。
 また一秒。
 いくら時が刻まれようとも、拳はわなわなと震えるばかりで、レックスには振り下ろされない。キングスの歯軋りがぎちぎちと音を立て、いつ飛び出してもおかしくないこの絶大な怒りを、どうにか抑えこんでいるのだと主張している。
「『展示物に傷をつけるな』。飼い主、要は親玉から、そう命じられているんだろ。これだけ派手に部屋の壁をぶっ壊しておいて、飾ってある絵には触れることすらしていない。何故か。繋がりがあるんだ、この、コスタノア美術館の関係者と。こんな大規模な美術品展示施設を一日や二日そこいらとはいえ牛耳るなんてこと、どんなに大人数だとしてもさすがに厳しいものがある。強固な警備によって守られているからな。だがお前らには可能だった。それは、美術館の役員がお前らの協力者、または仲間そのものであるという事実を証明している。さあ、吐けよ。この国に、貴様ら《夜鷹》の息がどこまでかかっているのかを。洗いざらいぶちまけろ」
 歯軋りは止まっていた。
 拳はそのままの位置で、振動を停止していた。
 右回転の回し蹴りがレックスの横っ腹を捉え、彼の体もろとも吹き飛ばした。何が起こったのか頭で理解した瞬間、想像を絶する激痛に襲われる。声を出そうとすると代わりに腹が悲鳴を上げた。服を捲って損傷具合を確認する余裕はないが、傷ができていることはわざわざ確かめるまでもない。
「上ばかり見てちゃあいけねえぜ、お巡りさんよ。そんなんだからてめえはいつまで経ってもヒラなのさ」
 両の拳を打ち当て、品のない金属音を響かせる。勝利を確信したキングスが、決まって敵に見せる動作だった。
 近くにしゃがみこみ、横たわるレックスの髪を掴んで、上半身のみを腕力だけで起こしにかかる。ひどい痛みで抵抗もろくにできず、されるがままに敗者と勝者の構図が出来上がる。
「まあ、でも、褒めてやるよ。てめえの予想は大外れってわけでもないからな。ただ、そんな予想を的中させたところでなんの意味もねえけど。そもそも俺たちをただの悪者だと思いこんでいる時点で、筋違いも甚だしいってもんよ」
 レックスの頭は、再び堅い床の上に打ちつけられる。
 床のひんやりとした冷たさは、戦闘で火照った体には心地よかった。
 冷却は、頭を冴えさせる。
「この国はもうすぐ、新しい時代を迎える」
 キングスは天を見上げる。照明の人工的なものでなく、建物を越えたその先にある、空から降り注ぐ光を求めて。
「まずは明日だ。明日、再生への第一歩を踏み出す。この、北の最果てでな」
 痛みは一向に消える気配がない。
 だがそれは、むしろレックスに明確な生を感じさせた。
 鈍くよどんだ苦しみを引きずりながら、重たい泥をかき分けて歩くような毎日よりも、生か死かのどちらかでしかない、はっきりとした単純な痛みのほうがレックスにとって分かりやすく、決意をより強く固めやすい。
 まだ、死ぬわけにはいかないと。
「新しい時代、か」
「お、なんだなんだ。まだ喋る余裕が」
 言い終わる前に、キングスは床に片膝をついていた。
 自身の腹を手で抱えこむ。
 美術館は、レックスの血では汚れない。
 急所こそ外したが、行動速度を著しく低下させる程度の銃弾が、キングスを貫いていた。
 友の助けなどではなかった。
「お前こそ、上ばかり見てるのは、良くないぜ。どんなヒラのお巡りさんでもな、持つものは、持ってんだよ」
 最初はうつ伏せだったが、キングスが天を仰いだ時に、体を返して同じく仰向けになっていた。気を失いかけるほどの痛みと闘いながら、未だ使い慣れない四十五口径を懐から取り出し、かつては撃ち損じた鉛の弾丸を、今度は確実に命中させた。やろうと思えば心臓や頭部を狙い、撃ち抜くこともできたが、結果として急所は外された。ダグラス警視総監から下された命令は、弾を放った後になってからようやく思い起こされる。

 【国内において、《夜鷹》あるいはそれに準ずる人間だと確証を得られる者と遭遇した場合、その時点で個人の判断により身柄を確保し、罪に問うものとする。対象が抵抗し、周囲の人間に危害を加える可能性がある場合、射殺による実力の行使に踏み切るものとする】

 ともすれば国の在り方をも揺るがしかねない、最低最悪の命令。裏を返せば、この国の警察にはまだ《夜鷹》に屈しまいと奮起し、立ち向かおうとする力が残されていることを示している。それはレックスも初めから分かっていて、自身もひとりの警察官であることに誇りを持ち、矜持を保つ意味でも、そこに疑義は生じないと信じていた。
 ほんの、数日前までは。
 何度もレックスの記憶の水流をせき止めては現れ出る、統率者の少年。彼は《夜鷹》を概念だと言い表した。単なる組織ではなく、この国に個として存在する考え方であると。また、ユロック大学で開催された文化祭の討論大会において、男子学生アルフレッド・デイトンが学生会長ハーバート・アイザックスとの闘いの末打ち出した結論も、彼の心に決して小さくはない波を立てていた。裏切りや反逆のない、完全なる組織を作り上げ、成り立たせることは容易ではない。組織としての目的を従順に達しようとする者も、反発し、流れに逆行しようとする者も、同じ組織という集団の中にいる。
 何もそれは、《夜鷹》に限った話ではない。
 もしも《夜鷹》が、警察関係者の中にも潜んでいるのだとしたら。
 北部渓谷機関車転落事故の真実を隠蔽する者の正体が、国家警察そのものであるのだとしたら。
 薄れゆく意識の果てに、ひとしずくの絶望が滴り落ち、滲んでいく。



 エルシーは、美術館の中を歩かされていた。
 手足を縛るなどの過度な拘束行為はなしに、自力で歩ける状態を維持されていた。ただし四方は囲まれており、まるでエルシーが身辺警護者をつけているかのようだったが、背には縄代わりの銃口が常に押し当てられている。彼女の身体能力では、不意をつき逃げ出すなどということは限りなく不可能に近かった。
 来た道を戻り、ロビーに帰ってくる。助けを求めるように周囲を見回すが、レックス、アーノルド、デイジー、ネル、レイの、いずれの姿もそこにはない。来館者たちが空間の隅に点在しているが、エルシーを遠巻きに見つめているばかりで、彼女の置かれている状況に恐怖や驚きを示したり、何事かと声を上げたりするような様子はない。理解が追いついていないのはこの場でただひとり、エルシー本人だけだった。どうして黙って眺めているのか、どうして誰も助けてくれないのか、そう叫びたくてたまらなかった。
 しかし、もし実際に叫んでいたとしても、その声が周りの者に届くことはない。
 黒服の男の指示により、入り口の正面にある門が轟音を立てて開き始めた。長い間、開け放たれたことがなかったのか、目に見える程度の砂埃が部屋の中を舞い始める。古い樹木の匂いが風に乗り、入り口を通り抜けていく。
 門が開くと、エルシーはまた歩かされる。門の向こう側、美術館最奥部へ。
 ロビーと北の大部屋を繋ぐ、影に覆われた廊下を歩く。
 その奥にはもう、扉はなく、洞穴のような入り口があるのみだった。
 一歩、また一歩と進んでいく。
 光が近くなる。
 視界が明瞭になっていく。
 最奥部に足を踏み入れる。
 そこは喩えるなら、かつて滅んだ王国の城の奥のずっと奥、家来からも、王からも忘れ去られた、虚ろなる謁見の間。
 一面の床には砂が、まばらながらも雪のように降り積もっている。前方の壁は剥き出しの砂岩で、鉄が酸化したかのような赤色を帯びており、荒い凹凸がそこかしこに見られる。見上げると天窓からはやわらかく優しい陽射しが漏れ落ちていて、下をくぐると光を感じることができた。光が有する温もりは、この緊迫した事態にはとても似つかわしくない。エルシーの胸を締めつける痛みに突如として交じり合おうとする安寧は、彼女の恐怖を和らげるどころか、むしろ奇妙な不安を新たに加え、混乱を微増幅させていく。今いるこの場所はもはや建物の一室ではなく、屋外をありったけの岩壁で覆い囲むことで形成される、明らかに異質な空間だった。
 エルシーがレックスたちと共に車を降りて、階段を登る前。美術館を見上げると、美術館よりも先に目に飛びこんでくるものがあった。国というものを隔てる、赤色砂岩の山。極大なる岩壁は美術館を、コスタノアの街を、この国もろともすべてを囲いこむかのように、縦に高く、横に長く、果てしなく、存在していた。
 しかしその事実に閉塞感を覚えるより前に、人は皆、あるものを仰ぎ見て言葉を失う。
 思い出される、デイジー・セヴァリーの言葉。岩壁は、末端から末端まですべて同じ景色というわけではない。あるところに、隙間があった。隙間は、女神像によって塞がれる。
 エルシーは、デイジーの説明だけでは情景を頭の中に思い描けずにいたが、思い描く前に、実体をその目に映すことになった。扉の向こう、コスタノア美術館の最奥部。または、北の最果て。または、この国の最後の場所。エルシーは淡い光と穏やかな風を受けながら、舞い上がる白く細かな砂塵を振り払い、まっすぐに前を見る。
 大空間の基部に、汚れた巨大な両足がある。裸足ではなく、履物を履いているようだった。着衣の裾で隠れてはいるが、筋肉の流れを感じさせる強靭な足腰により大地を踏みしめている。視線を上げていくと、着衣は擦り切れており、ところどころ無残に破かれているのが見て取れる。
 傷ついた女だった。自らの身体を、両腕で抱きしめていた。頭部はがっくりとうなだれているかのように傾げられており、顔には深い影が落ちていた。生身の人間ではなく肖像彫刻であり、目や鼻、口が見てその形と分かるように彫られていても、そこに生きた人間の表情は存在しないはずだったが、影が、女の悲嘆を暗示する。体中に刻まれた無数の切り傷が、女にふりかかったであろう、何がしかの惨劇を訴える。
 北壁の女神像は、どんな簡潔な言葉よりも雄弁に、この国を生きる人間に科せられた運命を宣告し、教戒する。
「やあ、来たね」
 がらんどうに、男の声が響いた。
 男は女神像の足元に立っていた。一同に背中を向けていたが、振り返る。深く被っていた中折れ帽を手に取り、伏し目がちだった顔を上げる。
 男の視線は何よりも、誰よりも先に、エルシーに注がれる。
「待っていたよ、エルシー。憶えてくれているだろうか」
 彼女にとって、とても懐かしい微笑。
 優しくもある顔立ちながら、確固たる意志に満ちている瞳。
 それはつい数時間前に見た、名を持たぬ絵に描かれる鷲の眼と同じ種類の力を宿しているように、エルシーには感じられた。
 深く押しこめていたはずの記憶がよみがえってくる。
 中央駅で初めて出会った時のことを思い出す。やや強引に約束を取りつけられ、相手の勢いに戸惑いながらも、どこか瑞祥めいたものを感じたことを思い出す。その後も交際を続け、いろいろな場所へふたりへ出かけ、ふたりの時間を過ごしたことを思い出す。これからもこの幸福な時間が自分には訪れてくれるのだと、信じていたことを思い出す。
 そのすべては虚構だったことも、思い出してしまう。
「カートライト、なの」
 初めから答えの分かっている問いに、「彼」は少しの不満も滲ませない。
「良かった。あなた誰、とでも言われたらどうしようと思っていた」
 黒服の男たちが、エルシーから離れていく。
 自由になったにもかかわらず、エルシーは逃げない。
 恐怖と不安が、胸の中から抜け落ちる。
 空いたところには、陽の光よりも温かいものが広がる。
「本当に済まないと思っている。こんな形で、君と顔を合わせることになるなんて」
 カートライトはエルシーとの距離を詰めていく。
 差しこみ落ちる光の雨は晴れ間の出現により強さを増し、カートライトとエルシーの再会を祝福する。
 その祝福を素直に享受しようと、エルシーは笑みを作りかけるのだが、謝罪から始まったカートライトの言葉に違和感を覚え、再会を喜ぶ彼女の言葉も一旦、喉の奥へと引き戻ってしまう。
 カートライトの表情はいつまでも優しいままで保たれている。
 背後からの光が、彼の体に暗影を生む。
 優しさが歪んでいく。
「さて、話は早いほうが良い。君は冴えているから、もう察しているんじゃないかな。目の前にいる人間が、何者なのかということを」
 空になった胸の中に広がったはずの温かいそれは、遅効性の猛毒のように鈍い苦しみをもたらす、また別の恐怖と不安でしかなかった。
「エルシー。君は、人質としてここへ連れてこられたんだ。警察に余計な手出しをさせないための楔として」
 大げさな所作に、演技がかった言い回し。意図的に間を置いて相手の思慮を促す話の運び方。
 まるで、銀幕の中にいるような人。
 エルシーはカートライトと交際を重ねるたびにその思いを強くした。現にこうして再会を果たしたこの時も。
「強制的に連れてきておいてなんだが、どうか、安心してほしい。そこの黒い服の男にも言われただろうが、このままおとなしくしておいてくれれば、君や、君の関わる人を必要以上に痛めつけたりだとか、そんな野蛮な真似はしないつもりだよ。今までも、これからも」
 たった一度、目の前の人間の名を呼んだきり、未だ二言目を発していないエルシーを、カートライトはここでようやく訝しみ、次にエルシーが何か言葉を放つまでは、黙っていようと決めた。
 風の音だけが良く響く、静謐な沈黙が始まる。
 エルシーは、選択を迫られていた。
 カートライトは再会を喜ぶのもそこそこに、あっさりと自らの立場を明かした。かつて心から愛していたはずの女に、もう以前のような関係に戻ることはないと直接告げるのは、カートライトにとってなんの抵抗も生じない行為であると、エルシーは誰よりも理解している。
 それとも、何も感じていないように見せかけて、実は多かれ少なかれ葛藤があるのか。
 この状況も彼にとっては、試練、などというものでしかないのか。
 他人の心を読み取ることはできないが、推し量ることはできる。
 昔のエルシーであれば、推し量った末の結論に絶句し、心の動きを停止させてしまっていただろう。
「野蛮な真似はしない、ですって」
 今の彼女には通用しない。
 停まっていた時間は、あるひとりの男によって、歩みは遅くとも、着実に動き始めている。再び止まりそうになることも何度もあった。それでも、止まらなかった。
 エルシーは選択を終える。
 己の立場を明確にする。
「建物の中でいきなり銃を撃ったりして、その撃った銃を人の背中に突き当てて、ろくに説明もなくこんなところまで連れてきて。それのどこが野蛮な真似じゃないっていうの」
「どこか怪我をしたのかい」
「そういう問題じゃないから。あなたの、あなたたちのやっていることは、野蛮です。いいえ、野蛮なんてものじゃない。乱暴で、幼くて、周りの迷惑を何も考えていない。いつかの機関車乗っ取りと一緒ね。私にはあなたたちが、ただの愚かな犯罪者にしか見えません」
 この女なら自分の思いを受けとめて、肯定してくれるだろうというカートライトの絶対的自信は、真っ向からはねのけられる。しかしカートライトは特に取り乱すこともなく、だからどうした、とでも言わんばかりに挑戦的な視線をエルシーに送る。その余裕が、エルシーにさらなる怒りをもたらした。カートライトは、自信が態度に表れ出るのを隠そうともしていなかった。自分にどのような感情を向けているのかを勝手に決めつけて、あわよくばそれを理由につけこめるのではないかと当たりをつけている、そのように思えてならなかった。もし再会できたら、関係が修復できるかどうかはともかくとして、いつまでも嫌うよりかは、互いの未来を尊重して話をしたい、そんな願いさえも見透かされているような気がして、とても許容できるものではなかった。
「迷惑、か。では聞くが、誰がいつ、迷惑したというんだ」
「決まっているでしょう。この美術館に来ている、お客さんたちです」
「残念だが、今日、この美術館に君たち以外の客はいないんだ」
「そんなわけがない。ロビーにだってたくさんの人が」
 カートライトの、エルシーは冴えている、という評価は見当違いではなかったが、まだ気が動転しているところがあり、彼の仲間が観覧客に扮していたという可能性に、ここでようやくたどり着いたのだった。
「一体、なんのために」
「君を安全にここまで連れてくるためさ。正義感に駆られでもして邪魔されてもつまらないからね。この建物の中には、必要な人間しか配置していない。ただ、君のお連れさんたちは、はっきり言って不要な存在だが」
「私の知っている人、いいえ、関係のない人たちをひとりでも傷つけたりしたら、絶対に許さない」
「もちろん、無用な手出しはしない。その代わり、あちらにもさせないがね。そのためにも君は、ここにいてもらわなければならない」
「人質に、よりによって私を選ぶなんてどうかしてる。普通の人間の何倍も抵抗されるって、予想できたでしょう」
「単に人質が欲しいだけなら、わざわざ君を選んだりしないよ。君は楔であると同時に、これから遂行される計画の一部始終を見届けてもらうという、大切な役目を持つ人間だ。引き続き、丁重に扱わせてもらう」
「何を見届けろっていうの。あなたたちに手錠がかけられるところだったりして」
「いずれ分かるよ。さあ、みんな。作業を始めよう」
 空間に点在する者たちが、おもむろに動き出す。
 ある者は女神像の足元に座りこみ、材質や固さ、劣化具合などを調べ、記録する。ある者は女神像の間からロビー方向へ出ていったかと思うと、大量の資材が入った大型の木箱を台車に載せて運びこんでくる。またある者は光に目を細めながらも女神像を見上げ、畏怖でも尊敬でもないが、決して明るくはない意思を向ける。エルシーはそれらの風景を注意深く観察していたが、それだけでは彼らがこれから何をしようとしているのか推測することは難しく、目的を推測もできない他者の作業を止める正当性など用意できるはずもなく、そもそも大勢の人間の動きの流れをたったひとりで止められるわけもなく、エルシーは彼らの作業が着実に進行していくのを、ただ黙って眺めているしかなかった。
「本当なんだ」
 カートライトのいびつな優しさは、なおも昔の女を自身の領域へ取りこもうとする。
「君に見てほしいんだ、我が国の行く末を。それは決して暗い未来ではなく、そう遠くもないんだよ」



 たむろしていた者たちが門の向こう側へ漏れなく移動し、ロビーが無人の状態となった時を、レイとネルは逃さなかった。美術館の奥には巨大な女神像があり、彼らがそこへ集まっているのだとレイは予想し、その理由を気にかけるが、今はそれよりも敵でない人間を捜すことのほうが重要だった。ロビーを初め、美術館内の部屋はどれも空間を広く取ってあり、隠れられるような場所も少なかったが、できるだけ壁に沿って歩くことで、ふたりはできる限り目立たないようにロビーを西方向に横切り、レックスとアーノルドの行方を追った。
 アーノルドの姿は見当たらなかったが、レックスはすぐに発見することができた。
 放射状の亀裂が無数に刻まれた壁と、傷ひとつない数枚の絵画。それらの対比に芸術的な寂寥感を覚える暇もなく、レイは艶やかな床に横たわるレックスへ駆け寄った。出血はなく、かろうじて息はあるようだが、腹部の衣服に痛ましい損傷があり、息があるのだからと安心できるような状態ではない。さっきまで元気に笑っていたはずの人間が苦痛に顔をしかめて動けずにいるのを見て、レイはせき止めていた感情をとうとう爆発させて、ありったけの声で何度も、何度も呼びかけた。
 ふたりでいる人間は得てして、一方が冷静さを欠けば、もう一方はそれを客観視することで冷静さを得る。レイがレックスだけに意識を向けている最中、ネルはいかにしてレックス・ベイカーが致命傷を負ったのか、その理由を推測しようとする。だが、頭をひねるまでもなく推測は終了する。レックスのすぐ近くに、両手に拳鍔を装着した大男が、血を流して倒れていた。
「この、あんたの保護者。大男に殴られるか蹴られるかしちゃったけど、気絶する前に銃で反撃はしてやった、って感じかな」
 推測を口に出すが、レイからは肯定も否定も返らなかった。
「証拠はあるのかな」
 レイからは、返らなかった。
 その、間隙をするりと抜けるように滑らかで、中性的な声は、レイでもレックスでも大男でもない、別の人間から発された。
 白衣を身にまとう女性が、警戒を露わにするネルの真横を颯爽と通過し、レイに近づいていく。その歩みに一切の躊躇はなく、明確な意志と目的の下に動いている人間だということが行動により示されていた。
「少年。どいてくれる」
 彼女の語りかけるかのような声は、耳をつんざくほどに大きくはなく、また聞き手に緊張感を与えるほどの鋭さもなかったが、不思議とレイの耳にはすんなり届き、彼の錯乱を鎮める効果をもたらした。またしても正体の知れない人物の登場であるにもかかわらず、ネルもその強固であるはずだった警戒心を解きかけていた。
「あ、あの」
「いいから、どいて。大丈夫、とどめをさそうだなんてたくらんだりしてないよ」
 白衣の女性は狼狽するレイをよそに、慣れた手つきでレックスの容態を確認する。レイとネルは、彼女が医者か、あるいは医療に通じた人間だと察知する。目で見てそうと分かるような医療器具は持参していなかったが、怪我人を前に無力なふたりには、彼女の診察を見守る以外にできることはなかった。
「左の側腹部に裂創、あとは、かすり傷程度か。筋肉はついているみたいだし、適切な治療をして安静にしていれば、問題はない」
「刃物か何かで切られたんですか」
「過大な外的圧力により皮膚が伸展し、上下または左右に引き裂かれて出現する傷が裂創。おそらく横っ腹に何か、とてつもない一撃を食らったんでしょう。加害者の使い方にもよるけど、ナイフにしては傷口の形状に違和感がある。それに」
 女性は、もうひとり倒れている男に視線を投げる。
「あの男は、切るよりも殴るほうが性に合ってそう」
 大男は下腹部を右手で押さえながら横向きに倒れこんでいた。その押さえこまれているところから、血らしき赤い液体が染み出している。床の肉体と密着する部分に、掌を広げたほどの大きさがある血だまりができていた。
「ふたりとも、まだ死んではいないみたいね。このまま放置していると分からないけど」
「放置なんかしません。すぐに病院へ」
「あなたたちに、大の男を運べるのかな」
「一緒に美術館に来た、体の大きな男の人がいます。あなたにも手伝ってもらいます」
「手伝ってもらいますって、そんな偉そうに決めつけられても困るな。私が受けている依頼は、そこの大男になんらかの負傷が生じたら救命措置をする、それだけ」
 女性が単なる医療従事者ではない可能性が浮上し、レイとネルの心に緊張感が復活する。
「ちょっと待って。依頼って何。あんた、あのデカブツとどういう関係」
「君たちに社会の常識ってものを教えてあげる。依頼受注者は、依頼主である顧客の情報を守らなくてはいけないの」
「馬鹿にしないで。そんなこと言われなくても分かってる」
 ネルが年上の女性に見境なく牙を剥くのはレイも見慣れていたが、この時ばかりは制止しに入る。
「あ、あの。とにかくあなたが医者なら、この刑事さんも助けていただけませんか。治療費は、すぐには渡せませんが、必ず用意します」
 なんとしてでも首を縦に振らせようと、レイは女性の目を凝視する。
 女性はあまり優しそうでない視線を投げ返すが、レイも負けじと見つめ続ける。
 レイは、レックス・ベイカーを、ここで死なせるわけにはいかなかった。死なせたくなかった。
 できることならすぐにでも病院へ担ぎこみたいが、それすらもかなわない自分の力の無さを、突然現れた見ず知らずの人間に頼ることしかできない情けなさを、この時ほど忌み嫌ったことはなかった。
 それでも頼るしかなかった。
 どんなに自分自身が嫌で仕方がなくても、レックスが生存する可能性が最も高い道を選択する以外になかった。
 もう、自分の周りにいる誰かの命が断たれることに、耐えられなかった。
「分かった。あっちの大男の次で良ければ、引き受けるよ」
 焦らしに焦らされた女性の返事は、あまりにもあっさりとしていて、レイは思わず聞き逃しそうになる。
「えっ。あ、あの、引き受けてもらえるんですか」
「うん。別に、助けるなとは言われてないし。ちゃんと治療費を払うって約束してくれるなら、断る理由もない」
 女性は白衣の懐から紙とペンを取り出し、何かを流れるように書くと、レイに手渡した。
「ウェンディ・デイトン。外れのトリンゼットっていう村の診療所。連絡先と住所、銀行の口座番号はそこ。君のお父さんが元気になったら、電話をするように言って」
 レイは、ウェンディと名乗る女性の顔と、手元の紙に書かれている線の細い文字の群を、素早く交互に見比べる。彼女の言葉に偽りはなく、トリンゼット診療所の電話番号と銀行口座番号、要求金額が記載されていた。レイが以前レックスから教えてもらった、巡査相当の警察官が得る一か月分の給与の半分にも満たない、人命が懸かっているにしては些少だと感じられやすい金額だった。
「何これ。こんなんでいいんだ」
 横から紙を見たネルが、素直な感想を述べる。
「私、たかが人間ひとりの命が重いとか軽いとか、深く考えないことにしているから。目の前の人間を、頼まれたら救うだけ」
 彼女の素っ気ない言葉を聞いて、レイとネルは悟る。この女性医ウェンディ・デイトンは、自分たちにとって敵でも、味方でもなく、偶然現場に居合わせただけでしかない、事態の傍観者であろうとしている。怪我人を治療するという医者として最も基本的な行為に徹するだけの人間だと、暗に示されたように感じた。彼女の姿勢はふたりにとってあまり快くはなかったが、絶対の悪だとも断定できなかった。かつて自身も傍観者であった彼らには、関わらずにいること、現実から目を背けることがどれだけ楽で、気安い生き方であるかが分かる。ウェンディが第三者という立脚点を自らの意思で守るつもりであるのなら、ふたりが彼女を無理に自分たちの領域へ引きずりこむ理由もなければ、度胸もなかった。



 コスタノア美術館の西側、廊下の突き当たりにアンダーソン展の主催者用控え室がある。
 アーノルドは複数人に囲われながら、そこへ連れていかれた。ここでおとなしくしていろ、という、彼にとっては大した効果をもたらさない命令を浴びせられたのちに、扉の向こう側へ乱暴に押しこめられる。資材か何かの障害物により扉の開閉は封じられ、アーノルドの筋力をもってしても、内側から押し開けることは不可能になった。アーノルドもその事実を理解し、出口ではなくなった扉に背を向ける。
 控え室には、デイジーがいた。アーノルドやレックス、エルシーたちよりも先に身柄を拘束され、この部屋にひとりで閉じこめられていた。外で何が起きているかも把握できず、それまで状況に一切の変化がなかったこともあり、ようやく現れた一縷の望みに、彼女の表情は少し緩んだ。
 アーノルドは刑事として、まず率直に、デイジーがキングスと同じ立場の人間である可能性を疑った。敵ではなくとも、ひとりだけでこの控え室に軟禁されていた理由は、はっきりさせておかなければならないと考えていた。キングスをレックスと対峙させ、同時にエルシーを略取するために、一同を北部へ連れてくる理由づけの役目を担ったのではないかという、後味の悪くなりそうな推測をデイジーに言って聞かせた。アーノルドは普段の職務のうち、容疑者への事情聴取において、鎌をかけて相手に口を割らせるといった手法を取ることはあまり得意ではなかったために、デイジーへ向けた疑惑の念も迷いのない、まっすぐなものだった。
 デイジーはそんなアーノルドの疑いを正面から受け止め、すぐさま他方へ投げ打ってしまう。
「私が、あの子たちをこんなことに巻きこむわけがないだろう。何をたくらんでいるのかも分からないあの連中が、こんな、ろくに体力もない老いぼれを協力者として使役するとでもいうのかい」
「協力者ではなくとも、関係者ではあるかもしれない。たとえば過去になんらかの関わりを持っていて、その縁がやつらを呼び寄せ、この騒ぎを起こさせたという線もある。しかもそれは、当人が記憶しているかどうかに依存しない。誰であろうと知らないうちに、誰かの恨みを買ってしまうことだってある」
「そうだね。あんたもちょうど今、私の恨みをお買い上げになったところさ」
 緊張感を和らげようというデイジーの思惑は、アーノルドには届かなかったようで、不意の冗談は受け流されるどころか、無視される。
「アンダーソンの追悼展がここ、コスタノア美術館で開催されることは、国中で宣伝されていた。嗅ぎつけるまでもなくやつらの耳には入り、あなたが主催側の人間として関わっていることも、少し調べてやればおのずと明らかになる。あなたがコスタノア美術館を訪れている時機を見計らい、事に及ぼうと計画していたのではないか」
「よしてくれよ、そんな。ないからね、心当たりなんて。私はただの被害者でしかない」
「自身の発言に、嘘、偽りはないと誓うか」
「誓うよ」
 尋ねはするが、貫くような眼差しは、偽りを許さない。しかしデイジーもまた、ひるまずに見つめ返していく。力強さはないが、決してそらされることのない視線に、アーノルドはやがて押し負ける。美術館での彼女の振る舞いを侮れないと評するに至った自身の感性に、アーノルドは従ってみることにした。
「ならば、あえて聞こう。やつらはこの美術館で何をするつもりだ」
「さあね。見当もつかないよ。そういうあんたはどう考えているんだい、刑事さん」
「さっぱり分からん。ただ、少なくとも無差別な殺戮行為などではないだろう。把握している限りだが、やつらは拳銃を所持しているにもかかわらず威嚇以外に発砲することはなかった。その気になれば俺などすぐに撃ち殺せたはずだ。やつらには、なんらかの明確な目的があり、武器はそれを達するにあたり障害となる存在を脅迫、あるいは排除するための道具でしかない」
「言うなれば、目的のためなら手段を選ばない、ってところかい。無意味な殺しはしないが、その殺しに意義があるのならためらわない、ということだね」
「ああ。やつらは美術館の奥、北壁の女神像がある部屋に集まっている」
「女神像を盗むってのかい」
「盗んでどうなる。金になどならんだろう。それこそ、展示室に飾られた絵の一枚でも狙うほうが遥かに有意だ」
「だったら、何を」
 巡り続ける解の出ない問題の輪から抜け出すように、アーノルドはデイジーの背に無造作に置かれている木箱に腰かけて、腕を組み顔を伏せる。控え室には窓がなく、電球から落ちる光が心許ない強さで室内を照らしていた。
 解決の糸口を求めて、アーノルドは根本的な疑問をデイジーに投げかける。
「あの女神像は、何を象徴している」
「言っただろ。建てられた目的は誰も分からないって」
「像を彫り、建立するからには、必ずなんらかの意図をこめるはずだ。俺はまだ実物を見たことがないが、どんな像なんだ」
「どんなって、そうだねえ。とにかく大きくて、高くて。それと私は、ずっと見ているとなんだか、物悲しい気分になったよ。もしあんたが見たとしたらきっと、その顔をしかめるだろうね。なんだ、この趣味の悪い像は、って」
「ふん、そうか。あまり、明るい目的で建てられたわけではないようだな。とかく芸術とは、どれもこれも人間を悲しい気持ちにさせようとするものばかりなのか」
「そうでもないよ。絵画だろうと彫刻だろうと、鑑賞して持つ印象は受け手によって変わる。私は悲しいと感じたが、そうではない人だっている」
「やつらはどうなんだ。あなたと同じように、悲しいと感じるのか」
「平気で人の命を奪うような輩の心情なんて、知らないよ。知りたくもないね」
 部屋の外、かなり遠くから何か重たいものを運ぶような音と振動がわずかに届き、一瞬ふたりの注意を引くが、会話はすぐに再開される。
「あくまで俺は、だが。見ると悲しくなるようなものは、なるべくなら視界に入れたくない」
「それはあんただけじゃなく、誰もがとは言わないが、大多数がそうだとも」
「しかし、あれだけ大きな像となると、嫌でも目に入ってしまう」
「像を見たくない人は、美術館に入らなければいい。北から離れて、遠いどこかの街で暮らせばいい。何も、美術館の天井をつき破ろうってんじゃないんだから」
「だが、この美術館の最奥部に存在しているという事実は、視界に入れずとも情報として脳裏に焼きつき、いつまでもつきまとう」
「考えようによるんじゃないか。そもそも存在しているという事実をどうにかなんて、できないよ」
「困難だろうな。だが、不可能ではない」
「何が」
「女神像の存在そのものを消し去ること。すなわち、像の破壊だ」
 デイジーは老眼鏡を外し、まるで頭痛に苦しむかのように、裸になった両目を手で押さえる。呆れられていると分かっていても、アーノルドは腕を組んだまま、刑事としての堅固な態度を保持する。
「あんた、それは、突飛すぎやしないかい」
「突飛だというのは認めざるを得ない。しかし、他に推測の余地がないからな」
「そもそも破壊なんて、どうやって」
「さっき、外で何かを運ぶかのような物音がしたのを聞いていたか」
「爆薬を運びこんでいるとでも言うつもりかね」
「あるいは、美術館内の美術品をどこかへ運び出しているのかもな。爆発による衝撃で、美術品に傷がつくのを避けるために。主目的ではないにしても、この混乱に乗じて手中に収めておけば、いざという時には金に換えられる。女神像よりかは容易にな」
「見てきたように言うじゃないか。でも、案外あんたの言う通りなのかもしれないね」
「なんの根拠もない、俺の勝手な考えだ。現時点では、な」
 アーノルドは腕組みをほどいて立ち上がり、塞がれている出口を睨むように見据える。
 少し前から、再び扉の外で音がしていた。
 何者かの足音が、複数混じって聞こえてくる。
 扉の前で音は止まる。見張りが足音の主と何かを言い合った後、閉ざされていたはずの扉は、あっけなく開かれる。
「あなたたちは、この子の知り合いですか」
 現れた白衣の女性は、挨拶よりも名乗るよりも前に、この場にいる人間同士の関係性を確認する。彼女の背後にネルの姿が見え、デイジーとアーノルドは警戒を弱めるが、完全には解かずに相手の出方をうかがう。受け答え役はアーノルドが担った。
「そうだが、あんたは」
「見ての通り、医者です。名前はウェンディ・デイトン」
「医者がこんなところになんの用だ」
「患者を車に運ぶのを手伝ってほしい。私たちだけじゃ、大の男を引っ張ってはいけないから」
「患者、だと」
「あなたの仲間、レックス・ベイカー。近くにいた少年からは、刑事さん、と呼ばれていたけど」
 知らない人間から知っている人間の名を聞かされて、アーノルドの目は見開かれる。
「生きているのか、死んでいるのか」
「生きているし、死なせないよ。満足に治療のできる環境に運ぶことができればね。だから、手を貸して」
「案内しろ」
 はやる気持ちからか、案内される側であるはずのアーノルドが、ウェンディを追い越して廊下を駆け抜けていく。取り残されたデイジーとネルは顔を見合わせてから、その後を追った。途切れることのない緊張が長時間続き、知らず知らずのうちに体力を消耗していたためにデイジーは息を切らし、初めはネルの手を引いていたが、アーノルドとウェンディに追いつく頃には、逆にネルに手を引かれながら歩いていた。
 駆けつけたアーノルドを出迎えたレイは、泣きそうになるのを堪えながら助けを求めた。アーノルドは無言で頷き、意識を取り戻しかけていたレックスに肩を貸し、ウェンディの指示に従い美術館の外へ向かった。
 ウェンディはアーノルドの後に続く前に、展示室全体を見回してからレイに尋ねた。
「あの大男はどこ」
「すみません。あなたがアーノルドさんを呼びに行っている間に、突然起き上がって、どこかへ行ってしまいました。声はかけたんですが、引き留められなくて」
「そう。別に、君が責任を感じる必要はない。一時的にでも患者から離れたのは私なんだから。自分で動けるのなら、放っておいても問題はないでしょう」
 責められることを想像していたために、ウェンディの淡白な反応にレイは戸惑う。それと同時に、レックスを傷つけたであろう存在の行方を無意識のうちに案じていることに気がつき、嫌悪感に襲われる。レックスが助かり、いつものように自分の名を呼んでくれることを、ただそれだけを一心に祈っていたいのに、あの場から逃げた大男のことがどうしても頭の中に現れて、思考を占領しにかかる。
 レイは立ち止まらず、運ばれるレックスから離れないようにした。常に体を動かして、余計なことを考えないために。
 一同は、正面の出入り口から美術館の外に出た。外に見張り役などはおらず、容易にウェンディの所有する車まで移動することができた。中型の黒い車で、灰色の布により日除けが作られていた。車体や車輪には走行時にはねたであろう泥や水の跡が残っており、少なくともこの数日、清掃された気配がない。
「おい、ウェンディといったか。この車、衛生状態は問題ないんだろうな」
「外側はともかくとして、中は大丈夫。たぶんね」
「たぶん、だと。それで医療が務まるのか」
「文句があるなら別の医者のところに行ってもらって結構」
 激昂しかかるアーノルドだったが、冷静を通り越し感情が欠落したかのような態度を取るウェンディと、不安げに見守るレイとネル、デイジーの前ではさすがに怒りをこらえた。車内にレックスを運びこみ、座席に寝かせる。ひとり寝転ぶと、後部座席にはあとひとりかふたりであればどうにか入りきる程度の空間しかなくなった。運転席にウェンディ、助手席にひとり乗ってしまうと、乗車可能人数は限界を迎える。
 レイは、銃声を響かせた男とその仲間たちがエルシーを連れ去ってしまったことをアーノルドに伝えた。アーノルドも、キングスの発言から、現に彼女がこの場にいない事実から、彼女が今も美術館のどこかにいて、危険にさらされている状況であると推測していた。
「レイ。そいつのことは任せたぞ」
 アーノルドは初めから車に同乗するつもりはなかったようで、無力であるはずの少年に自らの友を託し、背を向ける。
「待った」
 ウェンディが乗りこんだ運転席の窓から顔だけを出して、歩き出そうとしたアーノルドを呼び止める。
「もしかして、美術館に戻る気」
「ああ。刑事として、犯罪者たちを野放しにしておくわけにはいかない。それに、連れがもうひとりいる。捜しにいかなきゃならん。そこでぶっ倒れてる男の代わりにな」
「あなたにまでぶっ倒れられても、一度ここを離れてしまったら、そう簡単には駆けつけられない」
「駆けつける必要はない。あんたには、そいつの治療を確実にこなしてもらいたい。俺がすべてを終わらせてから、そちらに合流する」
「あまり危ない仕事は増やしたくない。応援の警察官が来るまで、おとなしく外で待機していたほうが」
「民間人が警察官に指図するな。どうすべきかは、こちらが判断することだ」
 アーノルドの覚悟は堅く、その覚悟を言葉にして皆に伝える時も、決して振り返らなかった。ウェンディもそれ以上何も言うことはなく、少しの躊躇も見せることはなく、前方に向き直りエンジンを吹かした。



 ウェンディの運転する車は、北部の郊外に位置するトリンゼットと呼ばれる寒村へと向かっていた。彼女が個人で開設し経営する診療所は、そこに存在する。
「結構揺れるから、気をつけて」
 コスタノア駅と美術館を繋ぐ長大な一本道を外れて、冬枯れした森林地帯のわずかな隙間を抜けていくような、曲がりくねった未整備の車道を下っていく。右へ左へと進行方向が変わるために、ウェンディの言葉通り車は振動した。後部座席のレイとネルは、レックスが座席から滑り落ちてしまわないように、全身を使ってふたりがかりで押さえつける。助手席のデイジーは、そんなふたりのことが心配で何度か後ろの状況を確かめた。
「なんであたしが、こんなことしなきゃなんないのっ」
 ネルに悪態をつく余裕が生まれてきた頃には、村の家屋が立ち並んでいる風景が近づいていた。
 天候は快晴だが、行く道の端や木造りの家の屋根には、昨日降ったのちに溶けきらなかった積雪が残っている。診療所は民家の密集する地域からは離れた場所にあり、外来者が気軽に足を運べるような立地ではなかったが、村民の多くが足腰の弱い高齢者であるという実情から、訪問診療が彼女の主な勤務形態となっている。
「村外からの出張依頼も少なくないから、私に言わせれば車も大事な医療器具のひとつなの。こうして患者を診療所へ連れていかなきゃならなくなった時に、自分で背負っていくわけにもいかないからね」
「だったらもっと、患者の移送に適した車を買いなさいよ。あたしたちがいなかったら、降り落されてたかもしれないのに」
 車を降りてからも、ネルは文句を絶やさなかった。ウェンディが終始冷静であることを受けて、レックスが助かる確信を得られたからか、いつもの調子を取り戻しつつある。それは、なおも不安や混乱と闘いつつあるレイやデイジーを気にかけての、無意識下の言動であるかもしれなかった。
 診療所の扉を開け放して、レックスの体を担架で屋内へ運びこむ。建物は目で見てそうと分かるほどに老朽化しているが、診療所の中は清潔に保たれていた。レイたちは待合室のソファーに座らされて、ウェンディは患者用のベッドがある奥の部屋へ入っていった。待たされる者たちに言葉がかけられることはなかったが、レックスの治療が始まったことを全員が理解した。レックスの姿が見えなくなったことで、一度引っこんだ不安がぶり返したのか、ネルはデイジーの手を握り足元を見つめている。その手も覆い隠すようにして、デイジーは持参してきた毛布を膝にかけて暖を取る。
 かすかに流れてくる薬品の匂いを感じながら、レイは美術館で目撃した大男のことを考える。
 レックスを発見した時に、そのレックスの近くで同じく気を失い倒れていた、黒いジャケットに身を包む大男。レックスの容態にばかり気を取られていたというのも事実だが、大男を全く気にしていなかったというわけでもない。傷口を視界に入れないようにして、大男の顔を見ていた。死のうと思っていたあの日に出くわした、機関車強奪事件の主犯のひとりである巨漢と同一人物だと、すぐに分かった。同時に、彼がエルシーを人質に取った人間たち、すなわち《夜鷹》の一員か、もしくはその協力者であることにも察しがついた。
 しかし、心に大きな波は生まれない。機関車両の屋根の上で巨漢と行動を共にしていた細身の発言を思い返せば、彼らが多かれ少なかれこの国における機関車という存在に対して憎しみを募らせていることは、《夜鷹》なる犯罪組織の名が耳に届く前からレイには想像できていた。その名を新聞などの報道でよく目にするようになると、おそらく彼らもそうなのではないかと推測を立てていた。その推測は、正しかったことになる。
 ここまでは良いが、この先がレイには分からない。
 彼らが何を計画し、コスタノア美術館で何を実行しようとしているのかも気になるが、それはアーノルドや北部の警察がいずれ明らかにする。レイが今、明らかにしたいのは、巨漢を含む《夜鷹》がエルシーを美術館の奥へ連れ去った理由だった。威嚇射撃した男は、エルシー・グリーンという彼女の姓と名を口に出し、彼女が本人であるかどうかを確かめた上で身柄の拘束に踏み切っている。明確に個人を特定しており、単なる人質の確保というわけではなさそうだった。何故、エルシーでなければいけなかったのか。知りたいが、それを知ろうとすることは、エルシーの秘密に踏みこんでいく行為に等しいと思えてならず、走らせる思考が何度も止まる。
 理性に従順であろうとするのなら、エルシーが何者であるかなど、自分にとっては関係がないと考えるべきだった。ただアパートの隣の部屋に住んでいて、たまに立ち寄るようになった雑貨店で働いていて、優しくて綺麗な女の人という印象を、レイは自身の中で作り上げていた。それが自身の探求心によって壊れてしまうことを、レイは危惧していた。
「おばあちゃんがコスタノア美術館に来ることになったのってさ、どうしてだっけ」
 なんの前触れもなく、ネルがデイジーに声をかける。繋いだ手は離されていた。
「教えただろう。亡くなった風景画家の追悼展が開かれるから、その手伝いとして館長からお呼ばれしたって」
「お呼ばれしたのは、おばあちゃんだけじゃないよね」
「ああ、そうさ。老いぼれひとりじゃできることも限られてくるし、私の手伝いの手伝いとして、エルシーさんや、あんたたちを一緒に連れてきたんだよ」
「そうじゃなくて。『エルシー・グリーンも一緒に連れてきてください』って、頼まれたんでしょ」
 老眼鏡の奥にあるデイジーの目が見開かれ、やがて観念したかのような笑みがこぼれた。
 レイも、ネルが自分と同じようなことを考えていると知って、彼女は信頼できる、という確信を強める。
「勘が良いんだね」
「だって、それ以外に考えられないから。連中は初めから、あの女を拉致することを計画して動いていた。だから、おばあちゃんを介してコスタノアの街まで連れてきた。そうよね」
 急に話を振られてレイは思わず間を作ってしまうが、沈黙が待合室を支配する前に、なんとか会話を続ける。
「現場に居合わせた者として、彼女の推測を支持します。あれは行きずりの犯行なんかじゃなかった」
「ふうん、おかしいね。あいつには、エルシーさんのことは話していなかったんだけど」
「『あいつ』とは、コスタノア美術館の館長ですね」
「そう」
「追悼展の手伝いを頼まれた時の会話を、思い出してください。おそらく相手方からは、エルシー・グリーンという氏名を提示されなかったはずです」
 デイジーもまた、ネルと行動を共にしているという、ただそれだけの理由でレイに信頼に近いものを寄せていた。彼の意向を素早く理解し、必要とされている回答を用意する。
「言われてみれば、エルシーさんの名前を出したのは、私からだったかもしれない。初め『お勤めの雑貨店に、あなた以外に従業員はいますか』と聞かれたから、『ああ、何人かいるよ』と答えた。そうしたら名前を聞いてきたんで、特に拒む理由もなかったし、教えたんだ」
「その後は、なんて言ってたの」
「ええと。『では、そのエルシー・グリーンさんと一緒に来てください。追悼展は丸一日かけて運営しますので、雑貨店は営業を休止してください』だってさ。言われなくたって、ちゃんと休業するってのにね」
「イザドラさんについては、何か聞かれませんでしたか」
「いや、何も。あの子は大学の講義で忙しそうだったから、声をかけるつもりはなかったよ」
「そうですか、分かりました。やっぱり、連れ去れるなら誰でもよかったというわけではなかったんです。これは想像ですが、相手方は追悼展の話を持ちかけるずっと前から、目標とする人物がどこの誰なのかを把握していた。でも、だからといって自分たちからその人物の名を出すわけにもいかないので、セヴァリーさんが先に名前を口にするように話を誘導していたのだと思います」
「参ったね。してやられたってわけだ」
 レイとネルの推測がデイジーの証言により正確性を増すが、推測はさらに次の段階へと進む。
「それで、あんたたちは私が古くからの友人に騙されてまんまと北へ誘き寄せられちまったのを暴き出して、一体どうしようっていうんだい」
「い、いえ、ごめんなさい、そんなつもりじゃなかったんですが。館長さんが《夜鷹》そのものなのか、または協力者なのか、あるいは脅されて協力を強いられているのか、そのあたりは僕たちには分かりませんし、酷なようですがそれは話の本質ではないんです」
「やつらがあの女の情報をどうやって手に入れたのか、でしょ」
 ネルの後押しにより、レイはとうとう決心せざるを得なくなる。
 心の内で思ったり、考えたりするだけでは、他人に何かを思わせたり、考えさせたりすることはない。しかし一度、言葉として表明してしまえば、それはその者の価値判断として他人の心に残り、なんらかの影響を与える。意見の表出という行為は時に、賛同者だけでなく敵対者を作ってしまう場合もある。その可能性をレイは常に頭の片隅に置き、危険視していたが、実害が出てしまっている現在の状況を受けて、いつまでも躊躇しているわけにもいかなかった。
「実は、僕、北部渓谷で起きた機関車転落事故を個人的に調べているんです」
「どうしたんだい、こんな時に」
「おばあちゃん。最後まで聞いてやって」
「でもそのことは、ごく一部の人だけにしか話していませんでした。今、治療を受けている刑事さんと、ネルと、それから、ユロック大学のアルフレッドさんという人にも」
「ああ、知っているよ。イザドラの話によく出てくる子だろう」
「はい。それで、僕が事故を調べているということに関してなのですが、内容が内容なので、周りの人に言いふらさないようにお願いしていました。言いふらされないように打ち明ける人を選んでいた、というのが、より正確です。それなのに僕が打ち明けていないはずの人から、僕が事故を調べていると言い当てられたことがありました。その人はカレン・メルヴィルといって、僕とネルが通う学校の先生です。どうして知られてしまったんだろうと思っていたんですが、この間、先生がある人物と会っているところを目撃しました。アルフレッドさんとイザドラさんが通うユロック大学の、モーゼズ・ガフ教授です」
「うん、その名前も聞いたことがある。確か、イーグルの機関車の設計にも関わったことがあるっていう、お偉いさんだ。で、あんたはその教授さんにも、事故を調べていることを打ち明けていたのかい」
「僕からは言っていませんが、おそらく露見しています。そうだと思われる出来事があったので」
「ほう。つまりモーゼズ教授が、あんたの情報をカレン先生に流したんだね。だけど、それが今回の件となんの関係があるっていうんだい」
「こいつは、モーゼズ教授が《夜鷹》側の人間なんじゃないかって疑ってんのよ」
 煮え切らないレイにネルが痺れを切らし、決定的な一言を放つ。
 デイジーはさすがに驚きを隠せず、膝掛け毛布を取り落しそうになる。しかし彼女よりも、レイのほうが驚いていた。レイは、ネルがここまで自分の意思を読み取ってくれているとは思っていなかったのだ。
 レイはもう後戻りはできなくなったが、構わなかった。
 ネルの信頼に応えなければいけないと思った。
「ちょっと、待っておくれ。何がどうしてそういう話になるのか、私にはさっぱり分からないんだが」
「先日、ユロック大学の文化祭で開催された討論会でも触れられていましたが、《夜鷹》は反鉄道という理念を掲げ、鉄道業に関わるすべての人間を憎悪の対象として見ているとされています。時には、対象を死に至らしめるほどまでに。今回の追悼展の主役である風景画家も、画業によって得た収入を機関車開発の支援に充てていたことで、殺しの標的になってしまった」
「それはそうなのかもしれないけど、その話がモーゼズ教授にどう繋がるっていうのさ」
「同時に、討論大会ではこうも語られていました。北部渓谷機関車転落事故は、正確には事故ではなく《夜鷹》によって引き起こされた事件なのではないか、と。仮にその主張が正しいとすれば、《夜鷹》は事故の真相を明らかにしようと行動する人間を嫌い、敵視するはずです。たとえば、僕のような人間を」
「あんたが《夜鷹》にとって都合の悪い存在だからって、教授さんはあんたの通う学校の先生に釘を刺してもらうよう頼みこんだ、とでも言い出すつもりかい。こう言ったらなんだけどね、あんたはあんたが思っているほど影響力の大きな人間じゃないよ」
 デイジーに指摘されて、初めて自身の無意識のうちの思い上がりに気づき、レイは赤面する。黙りこんでしまった彼を見かねて、ネルが続きを受け継ぐ。
「でも、カレン・メルヴィルがこいつの情報を得るには、そこからしか経路はなかったはずなの。モーゼズ・ガフは特定の人物と接点を作り、できるだけ足がつかないようなやり方で情報を流していた。コスタノア美術館の館長に対しても、同様の手段を取っていたと考えられるわ。エルシー・グリーンがセヴァリー雑貨店に勤めていることは、イザドラ・ケンドリックから聞き出せただろうし。あいつの場合、相手から聞かれずともぺらぺら喋ってそうだけど。あと、聞き出せるのはそれだけじゃなくて」
「私の情報もイザドラを通じて得た、っていうのかい。じゃあ、まさか」
「そうよ。今回のコスタノア美術館での騒動を起こしたのも《夜鷹》だと、こいつとあたしは考えている。やつらがあの女を拉致した理由なんて知ったこっちゃないけど、あたしたちが観測できる範囲で、情報の流出元として一番疑わしい人物がモーゼズ・ガフなの」
 デイジーは先ほどアーノルドの前でそうしたように再び老眼鏡を外して、今度は天を仰ぎつつ、顔全体を手で覆った。
「なんだか、本当に頭が痛くなってきたよ。さっきも真面目そうで体格の良い男の刑事に『やつらは女神像を破壊しようとしている』だとか、とんでもないことを言われたし」
 女神像を破壊、という不穏な言葉にレイは反応しかけるが、ネルが別の疑問を投げた。
「そういえば、気になってたんだけど。おばあちゃんって、その刑事と一緒に美術館の控え室みたいなところに閉じこめられてたんだよね」
「ああ、そうだ。私も変だと思っていたよ。見張り人までつけて監禁しておいたくせに、あのお医者様が現れたらすんなり扉が開いてさ。私がみんなと一緒に車に乗りこんで美術館から離れようとしてるってのに、誰ひとり追いかけてもこなかったじゃないか。本当に、わけの分からないことだらけだよ」
「連中の目的があの女の拉致なら、もう目的は達成しているわけだし、おばあちゃんはもう用済みになったってことなのかも。一応、部屋に閉じこめてはおいたけど、逃げられたら逃げられたで別に、脅威にはならないと判断されたんじゃないの」
「失礼なっ。年寄り扱いしやがって」
「実際、お年を召されているじゃないですか。あまり気を立てられるとお体に障ります」
 治療を終えたウェンディが、扉を開けて待合室に戻ってきた。
 それは、それまでのデイジーとネルの会話を聞いていたレイの頭の中に、あるひとつの懸念点が思い浮かんだ瞬間とほぼ同時だった。
 本来であれば真っ先に治療の結果を確認するはずであろうレイが、依然として黙りこくっているので、デイジーが代わりに役目を引き受ける。
「先生。治療は、終わりましたか」
「はい。問題なく完了しました。あと数日も安静にしていれば、立って歩けるまでには回復します。まだ意識は戻らないようですが、そのうち目を覚ますでしょう」
「そうですか、良かった。本当に、ありがとうございます」
 安堵の表情を浮かべるデイジーにウェンディはにこりともせず、白衣のウェルト・ポケットに手を入れて、何かを考えこんでいるレイを静かに見下ろす。感謝の言葉すら発しないレイをデイジーは見とがめるが、彼には聞こえていなかった。「これからどうするの」というネルの不安げな問いかけにすら、答えなかった。
 レイの中で、次に何をするかは決まっていた。
「デイトン先生」
「何」
「この診療所に、電話機はありますか。至急、連絡を取りたい人がいるんです。それと」
 レイはデイジーを見据える。
 記憶の扉にかけられた手に、力をこめるための勇気を振り絞って。
「あなたには、聞きたいことがある」



 北の最果ての美術館にて着実に進行する策謀の全容が明らかになることのないまま、夜は更けていく。
 エルシー・グリーンという個人名こそ公表はされなかったものの、コスタノア美術館が複数人の徒党を組んだ者たちによって占拠され、かつ観覧客のひとりであった若い女性が拉致された事実は、ラジオの臨時速報や新聞の号外記事を通じて国中に広く報された。匿名者の通報により事態を把握し、現場へ急行したという北部警察の見解によれば、事件発生当夜の時点で死者が出たとは確認されていない。しかしあくまでも確認されていないだけであり、人質となった彼女の安否を調べる手立てがない以上、占拠犯に対する迂闊な刺激は事態のさらなる悪化を招きかねないとし、犯人側との交渉、もしくは機動隊の突入による武力の行使に踏み切るにしても、それらは夜が明けるまで待たれることになった。大勢の警察官が部隊となって美術館の正面玄関前を包囲し、不審な人間の出入りや動きがないか、異変が見られないか、夜通し目を光らせる。だが何もなければ、陽が昇り、最低限の可視性を確保できるまで、このまま膠着状態を維持するという。中に占拠犯がはびこっているはずの美術館は、夜の闇が訪れても光ひとつ外へ漏れ出ることはなく、屋内の照明がほとんど非点灯であると示していた。
 この発表に国民は不安と焦燥を覚えつつも、警察がそう判断したのならと、無理にでも納得させられるしかなかったが、そうとはいかないのが北部以外の警察組織に属する者たちだった。人質の氏名に同じく、犯行に及んでいるのが概ね間違いなく《夜鷹》であることは報道においては伏せられるも、警察関係者の間では情報が共有されていた。故に夜明けを待つという北部警察の判断には、多く疑問視する声が挙がった。《夜鷹》とは本来、その名の通り夜に行動するという、一種の習性のようなものを持ちあわせている組織であったはずだと、捜査を担当する刑事たちは認識を検める。今回の美術館占拠が白昼に行われた理由は不明だが、だとしてもこれまでの事例を踏まえれば夜にこそ大きな動きがあるのではないかと考えるのが妥当であり、北部警察はそれを見過ごそうとしている、などといった非難にも近い異議を唱える者が少なくなかった。そもそも《夜鷹》であろうとなかろうと夜明けなど待たずに即刻突入し、一刻も早く犯人集団を取り押さえ、人質を救助すべきではないのか、とも。中央部警察のある刑事が、北部警察へ提言できないか上位階級者に申し立てることもあったが、その要求は受け入れられるどころか、検討すらされなかった。中央部警察もまた、北部警察の判断に口出しはしない方針を順守するのだった。
 その方針は、ある意味では誤りだった。
 未明の中央部、ユロックの町に佇むセヴァリー雑貨店に、ふたりの人間がやってくる。雑貨店の入り口は木戸で固く閉ざされており、休業を示す看板が掲げられている。ふたりは裏口に回り、鍵がかかっているはずの扉を開けて足を踏み入れる。
 ふたりのうちひとり、イザドラ・ケンドリックは、従業員用の合鍵を預かっていた。
「はあ。私たちのやってること、ただの泥棒じゃない。嫌だからね、この大事な時期に警察のお世話になるだなんて。捕まるならアルフひとりでよろしく」
 ふたりのうちもうひとり、アルフレッド・デイトンは、音を立てないようにしてイザドラの肩を叩く。
「静かにするんだ、イザドラ。もしかすると、まだ潜んでいる可能性がある」
「潜んでるって、誰が」
「やつらが、かな。といっても、おそらく単独、万にひとつ複数いたとしても少人数だろうけど」
 迷わず方向転換して逃げ出そうとするイザドラを、アルフレッドが引き留める。
「まあ待つんだ」
「待つわけがない」
「見知った屋根の下じゃないか。何も、殺人者が彷徨う恐怖の館に乗りこもうってわけでもない」
「意味が分からない。空き巣狙いがいるかもしれないってのなら、警察を呼ぶべきよ。なんで私たちだけで立ち向かわなきゃいけないの」
「空き巣狙いか。そういう言い方もできるな。ただ、侵入者がいる可能性があるってだけで通報しても、警察はまともに取り合ってくれないだろう。というか、警察のお世話になるのは避けたいんじゃなかったのかい」
 灯りを点けて、視界を確保する。
 裏口に続いているのは商品の在庫置き場で、木製のテーブルが数台と、三方の壁を埋めるようにして床と並行に張り出された木板の棚が縦列している。セヴァリー雑貨店では、キー・チェーンに認識票、懐中時計といった装身具、マグや木皿のような食器類から、鷲の体毛を使った羽ペンや上質紙で作られたポストカードなどの文具類、犬や猫などの動物を模した置き物類、光を通すと淡い輝きを放つ硝子瓶や幾何学模様を施した手織りの卓上敷物、などといったような室内装飾品に至るまで、総じてくすみ、色褪せてはいるが骨董的というほどでもない、いわゆる「味のある」古物を網羅しており、それらがテーブルの上に、棚の端から端までに、隙間なく並べられていた。配置に規則性はなく、おそらく店主本人にしか、どこに何がいくつ置いてあるのかを完全に把握することはできないと見る者を思わせる。毎日の掃除は欠かされていないようで、商品に埃を被っているものはひとつとして見当たらない。デイジー・セヴァリーがこれらの商品を単なる売り物としてでなく、我が子のように大切に扱っている様子を知ることができた。
 アルフレッドは商品のひとつひとつを注意深く観察しながら、奥へ進んでいく。その後ろにはイザドラがぴったりとくっついている。イザドラは夜遅く、アルフレッドに突然自宅へ押しかけられ、事情もろくに聞かされないまま「危機が迫っている、君の協力が必要だ」とだけ言われて、ここまで連れてこられていた。なおも目的の分からない行動に同行を強要されている上に、息を潜めているかもしれないとされている第三者と遭遇するおそれまであるこの異様な事態に、イザドラは苛立たしさと恐怖を心の中に同居させていた。文句を言おうにも、静かにしろと忠告された手前、彼女に黙って後に続く以外の選択肢はない。
 アルフレッドの巡視は在庫置き場だけに留まらず、建物の二階に位置するデイジーの私室にまで及ぼうとする。
「ちょっと。さすがに干渉が過ぎるよ」
「心配は要らない。セヴァリー女史の許可は得ている」
 階段を上がり、軋む廊下を進んだ先に、手狭な小部屋が一室、二人の前に姿を現す。デイジーが収支の管理や雑務に使用する部屋だった。扉に鍵はかかっていない。ドアハンドルに手をかけて、アルフレッドは意を決し勢いをつけて中へ突入する。廊下の灯りが入りこみ、部屋の入り口付近から中央にかけてを照らし出す。
 中には誰もいない。
 正確には、もう、誰もいなくなっている。
 奥にある書斎机の上、暗褐色の鳥の羽根が、小さくも決して無視はできない邪悪な存在感を放っている。無造作に落ちているのではなく、何者かがある意図のもとにそこへ置いたものだった。
 部屋の中からは侵入者の痕跡が拭い去られていたが、よく見ると、扉の鍵は壊されていた。
「やられたかっ」
 悔しさをにじませて、アルフレッドは右手で壁を叩く。イザドラは何がなんだか分からないが、とりあえずこの場にはふたり以外に誰もいなさそうだと知ると、恐怖よりも苛立ちのほうに天秤を傾ける。
「さて、アルフ。どういうことか説明してもらえるかな」
「ん、ああ。そうだったね」
 苦りきったままのアルフレッドから、行動に至るまでの経緯が語られる。
「彼から。レイ君から、電話がかかってきたんだ」
 レイは電話交換手を通じてユロック大学の代表番号に繋ぎ、大学の受付員にアルフレッドを名指しで呼び出させた。それは、アルフレッドにとある依頼をするためであり、その依頼こそが、セヴァリー雑貨店へ何者かが侵入したかどうかを調べることだった。
 イザドラとアルフレッドは、レイやネル、デイジーがコスタノア美術館に赴いていることを当然ながら知っており、今回の美術館占拠事件に一同が巻きこまれている可能性を憂慮していた。そこへ飛びこんできた緊急と思わしき連絡にて、コスタノア美術館を占拠している者たちの正体がどうやら《夜鷹》であるらしいとレイから知らされて、アルフレッドは憂慮が現実になっているのだと察知した。
 しかしレイは「こちらは大丈夫」と力強く告げた。
「彼は、北部コスタノア美術館の事件が国中の注目を集めている間に、ここ中央部で別の悪事が遂行されるのではないかと考えているらしい」
「どういうこと」
「彼らの話では、セヴァリー女史は《夜鷹》の息がかかったコスタノア美術館の館長によって北へ呼び寄せられ、事件が起きてからしばらく関係者用控え室に監禁されていた。ほどなくして部屋からは出してもらえたが、事件の影響により北部と中央部を接続する列車の運行は見合わせられてしまっていて、警察による警戒態勢が解かれない限りは、中央に帰りたくても帰ってくることができなくなった。加えて、イザドラは当人から聞かされているだろうが、セヴァリー雑貨店は本日、休業している。同じく館長から必ず休業するようにと念を押されていたとのことだ。今夜、セヴァリー雑貨店には、従業員も客も誰も訪れないという状況が作り上げられてしまった。おそらく、雑貨店への侵入を滞りなくするためだろう」
「そうまでして、邪魔者を寄せつけたくなかったんだ。手のこんだ火事場泥棒だね。私を捕まえなかったところを見るに、詰めは甘いみたいだけど」
 イザドラが冗談を会話に交えるが、アルフレッドにはいつものような余裕と自信に満ちた態度がなかなか戻らない。
「主目的が美術館の占拠であることは間違いないが、混乱が予想される中でそれに乗じ、雑貨店に侵入するのもまた、やつらが成し遂げようとしていた付加目的だった、僕はそう考える。きっと、彼も同じく」
 天井から吊り下げられる照明器具に灯りをともし、室内が完全に明るさを取り戻すと、イザドラが部屋の中をざっと見回す。書斎机と椅子以外に目立った家具はない。床に小物が置いてあるわけでも、壁に装飾が施されているわけでもない。一階の在庫置き場とは対照的に、ひどく殺風景な空間だった。
「いろいろ言いたいことはあるけど、まあ、分かったよ。いきさつはどうあれ、とにかく悪い人たちがいて、その人たちはセヴァリーさんを遠いところへ呼びつけて身動きできないようにして、その隙に雑貨店へ入りこんで悪いことをしようとしたと。で、悪いことっていうのは何。見た感じ無闇に荒らされているってわけでもなさそうだけど、何をやらかそうとしているっていうの」
「やらかそうとしているのではなく、もうすでにやらかして、帰っていった後なんだよ」
 アルフレッドは、この部屋に残されているただひとつの痕跡を指差して、言う。
「この羽根。《夜鷹》の犯行声明だ」
「犯行声明って、俺たちはここに入ってやったぜ、っていう」
「そうだ。これもまた公的に報道されていない情報だが、以前《夜鷹》が少女の親族殺害事件に加担した際、自分たちの犯行であることを明示するために、犯行現場に暗褐色の羽根を残していったという」
「だから、なんであなたがその公的に報道されていないはずの情報を知ってんのよ。どうせ聞いても教えてくれないんでしょうけど」
「いや。今は時間がないから無理だが、いずれ話す機会がやってくるだろう。もはや君は、関わりすぎた。僕に負けじと、後戻りのできないところまで」
 暗褐色の羽根に照明の光が落ちる。部屋の扉は開け放されたままだったので、廊下から冷たい微風が入りこんでくる。
 ふたりの目には、羽根が、意思を持った生物のごとく、うごめいているかのように見える。
 途端に不安を覚えて沈黙するイザドラの視界を遮るかのように、アルフレッドは書斎机の前に立った。
「話を戻す。侵入者がこのセヴァリー女史の私室で一体何をしていたのか、だが、有り体に表現するのなら先ほど君が言ってくれた通り、ただの空き巣狙いでしかない。では、何を盗んだのか。絵画だ」
「セヴァリーさんって、絵なんて描いてたっけ」
「彼女が描いたのではない。他者が描いた絵を、彼女が買い入れて所持していた。本当に気に入ったものを鑑賞用に数点程度、私室の壁に飾るだけという、趣味の範囲内でしかないそうだが」
「部屋のどこにも飾られてないけど」
「当然だ、一点残らず持ち去られてしまったんだから。ただし、やつらが目的とするのはここにあった絵画すべてというわけではなく、そのうちのただひとつだけだ。すべて持ち去ったのは、目的の絵画が何であるかを警察に悟られないようにするためだろうな」
「ふん。でも、アルフには分かってるんでしょ」
「買い被らないでくれ。僕は、レイ君から電話越しに聞いた内容をそのまま話しているだけだ」
「はいはい。で、なんなの、その目的の絵画っていうのは。著名な作者が遺した幻の名作、とかだったり」
「あながち、間違いでもないな。オズワルド・イーグル氏の描いた絵だ」
 イザドラは驚いて、思わず開いた口に手を当てる。
「あの人って、画家でもあったんだ。全然知らなかった」
「知らないのも無理はないさ。氏が機関車開発業の傍らで絵を描いていたなんて、この僕ですら初耳だった。きっと本人は、発表するつもりもなかったんじゃないかと勝手に想像している」
「アルフにも知らないことがあるなんてね。レイ君は、セヴァリーさんから教えてもらったのかな」
「だと言っていた」
 レイは、デイジー・セヴァリーが北へ誘導されたのはエルシー・グリーンを共に連れて来させる計画の一端だと推測したが、セヴァリー当人が雑貨店を留守にする状況を作るという行為にも、なんらかの意味があるのではないかとも考えた。熟考の末に脳裏をかすめたのが、美術館の東側展示室で目の当たりにした、夕景と鷲の油彩画だった。
「彼がセヴァリー女史に尋ねたところ、彼女が懇意にしているコスタノア美術館の館長とイーグル氏は知己だったらしい。館長は、作者を公表しないという条件で氏が描いた絵を数点譲り受けており、そのうちの一点は無題無記名で美術館に飾り、もう一点を彼女に託していたという」
「じゃあ《夜鷹》は、イーグル氏の描いた絵を手に入れるために今回の騒ぎを起こしたとも言えるんだ」
「レイ君の推理では、そうだ。僕も異論はない。手中に収めてからどうするのかは、さすがに分かりかねるようだったけど」
「この国の機関車のお父さんみたいな人が、内緒で描いていた二枚の絵、か。火に投げこんで消し炭にしてやろうとでも目論んでるのかな。そうだとしたら、もう作者本人は亡くなってしまったのに、遺したものすら憎いのね。呆れる」
「やつらの習性だ。粘り強く、執念深い。まさに、常軌を逸している」
 ふたりは絵画の消失したデイジーの私室を後にした。
 まずは空き巣狙いが入った事実を警察に通報すべきだとイザドラは提案するが、アルフレッドはレイへ連絡するのが先だと頑なに主張する。だったら早く電話しろとイザドラは正論を投げるが、アルフレッドは途端に表情を曇らせた。
「今夜、君を巻きこんだのは、このためなんだ」
「えっ、どういうこと」
「レイ君へ、セヴァリー雑貨店で確認した事実を報告してほしい。僕の代わりに。僕には、無理だから」
「いや、アルフとレイ君の間に突然私がしゃしゃり出てきたらおかしいでしょ。なんで自分で報告できないのよ」
「ごめん。この理由は言えない。これから先も、ずっと」
 彼女にとってはわけの分からない不条理ばかりが続くので、イザドラは怒りに任せてそのまま帰ってしまおうかという衝動に駆られるが、アルフレッドがこんなにもしおらしい態度で頼み事をしてくるのは初めてだったために、放ってはおけなかった。
「ああ、もう。分かったよ、電話するよ。どこへかけるの」
「北部の、トリンゼット診療所」
「診療所って、レイ君たちはなんでそんなところにいるの。しかもコスタノアの街じゃないだなんて。怪我でもしたのかな」
「成り行き、だそうだ。でも彼は、心配は要らないと電話口で言っていた。刑事さんを信じているから、と」



 長い夜が終わろうとしている。
 陽の一片が頭を出し始め、空が漆黒から群青へ移り変わろうという頃、コスタノア美術館の正門前にて包囲網を張る北部警察の機動部隊は、館内突入へ向けた準備を済ませていた。警察車両で搬入した拡声器を電気増幅器により増幅し、屋外からであっても美術館内の全域に届く音量の声で、機動部隊長が事前の勧告を開始する。人質の解放と美術館からの退去、警察への投降を複数回に分けて要請し、犯人側の反応を待つ。もし金銭を要求してくることがあっても、ある程度の額であれば応じる用意はあったが、万にひとつもそれはありえないだろうと予測されていた。《夜鷹》は、犯罪統計上ではいわゆる思想犯に分類される。思想犯とは、金品や名誉などといった利益のためでなく、自国に変革をもたらすという信念に基づき法を犯す者を指す。故に彼らは自らの行いを正しいと信じて疑わず、たとえ相手が国家警察であっても素直に従うことはない。
 事実、幾度となく拡声器を通じて部隊長の声が周囲に響き渡っても、占拠犯が手を挙げて美術館から出てくる様子は見られない。そびえ立つ最果ての城は、まるで無人であるかのように、気味の悪い静寂を保っている。
 いよいよ強行突撃の段階が近づいているのを感じ取り、部隊の誰もが神経を尖らせる。
 ひとりの男が美術館の入り口から勢い良く飛び出してきたのは、そんな時だった。
 厳寒の中、白い息を盛んに吐き出しながら片腕を押さえている。身に着けている衣服がところどころ擦り切れており、うち一か所からは血が滲み、男に鋭い痛みを与えていた。美術館の中で、何十人という数の相手と穏やかでない抗争を繰り広げてきたのだと見る者に想像させる。
 その男、アーノルド・エイムズが何者であるのかを、当然ながら警察部隊の人間は見知っていた。見知っていたからこそ、負傷を労るのではなく、すぐさま一斉に射撃体勢を取り身動きを抑制した。
「アーノルド・エイムズだな。貴様、何故ここにいる」
 部隊長が問いただすが、アーノルドは答えない。自身に数多くの銃口を突きつける包囲網を睨み返し、視線を一巡させる。
「応答せよ、アーノルド。コスタノア美術館は現在、北部警察機動隊により包囲されている」
 痛みが継続しているはずの腕を抱えるのをやめて、アーノルドは両手を体の脇に持っていく。両足も肩幅程度に開き、美術館の入り口を背に立ち塞がる格好となった。
 まるで、ここから先には誰ひとりとして行かせはしない、と言っているかのように。
「館内を占拠せし徒党の情報を報告したのは、貴様ではなかった。何故、現場にいながら報告を怠ったか。人質の女性の安否は確かめたのか。貴様も警察官の一員でありたいと望むのなら、いかなる時であれ課せられた職務は全うすべきである。中で何事があったのか、言え」
 部隊長の怒声ともとれる尋問は、部隊員の疑念と嘲弄とが入り混じる視線と共に、アーノルドへ注がれる。
 アーノルドは、考えていた。
 何を言うべきであるのかを。または、何を言うべきではないのかを。
 考えたが、答えは頭の中にも浮かばなければ、声として出るわけもなく、己の鈍さに焦れこむ。
「アーノルド。二度はないぞ。命令に従わなければ相応の処分を下す」
 だが、それでも構わないとも思っていた。
 目の前の、味方であるはずの者たちに、自分はこういう理由でここにいると釈明をして、分かってもらおうとは思えなかった。言葉がなくとも分かってくれるだろう、などという期待は、微塵も持たなかった。
 分かってもらう必要性が分からなかった。
 それが刑事として、組織に属する人間として致命的な欠点であり、周囲から疎まれ、避けられる原因になっていることなど、痛いほどに理解できているにもかかわらず。
「貴様、なんとか言ったらどうだっ」
 部隊長の怒りが頂点に達する。
 次の瞬間、アーノルドは背後に気配を感じた。
 動かなければ死ぬ、そう確信する気配だった。
 あっ、と部隊の誰かが声を上げる。
 大男のアーノルドの体躯を、さらにもう一回り大きくした巨漢の影が、アーノルドの脳天をめがけて拳を振り下ろす。
 血の滴る片腕が伸ばされる。
 冬の張りつめた空気の中に、火花が散る。
 乾いた破裂音が響き渡る。
 脳天を撃ち抜かれたのは、アーノルドではなかった。
 片腕の先、手に握られているのは、上着の裏側に隠し入れていた、携帯用の小型拳銃。
 衝撃で吹き飛ばされた巨漢の体は、美術館の中へ舞い戻る。
 銃創を手で押さえ、なんとか激痛を取り除こうと、なんとしてでも生きようともがくが、損傷すれば絶対に助からない部位をアーノルドは狙い、弾丸を撃ち放った。
 死にゆく巨漢を、アーノルドはただ見ている。確実に息絶える時を見届けようと。
 体を返してうつ伏せになると、巨漢は手を掲げる。北壁の女神像の方向だった。最奥部へ通じる門は閉ざされていて、像への道すら、何者の目にも映らない。
 それなのに、女神へ救いを求めているかのように、まるで救いの手がすぐそこへ差し伸べられていて、掴んで救われようとしているかのように、掲げられた手が空中を彷徨う。
 手は取られず、やがて床に落ちた。
 キングスの死を確かめたアーノルドは、自身にしか聞こえない手向けの言葉をかける。
「悪いな。俺は誰かさんみたいに、お人好しじゃないんでね」
 決着を告げる、一陣の風が吹き荒ぶ。
 着こんだ警備服越しにも伝わる肌寒さが彼らの感覚を研ぎ澄まし、何が起こったのか、機動部隊員たちが理解する。
 何が起こったのかは理解できても、それが何を意味しているかが理解できずに、銃を取り落とす者がいる。向けていた銃口を降ろす者がいる。姿勢を崩さず、銃口を向け続ける者もいる。
 アーノルドは、そのどれもを意に介さない。
 自身に向けられるすべての感情に向き直り、彼らのかじかむ耳を裂き破るほどの大音声で叫ぶ。
「警視総監どのが、撃てと命じた。自分は、命令に従ったまで」
 残りの銃口も、行き先を失った。
 アーノルドは膝から崩れ落ち、その場に倒れこむ。
 ぶり返した全身の痛みに耐えかねて、持てる力を使い果たして、あと少しで気絶してしまいそうなほどに体力を擦り減らしていた。
 つい今しがた、お人好しと言い表した男の無事を案じながら、拳銃に込めていた握力を弱める。
 実力の行使という名の殺人を犯した片手の指には、指輪が光っていた。妻のジェイミーとふたりで選んだ、揃いの結婚指輪だった。
 このまま死んでも構わないと思っていたが、その指輪を見てしまうと、アーノルドは強引に考えを改めた。思いを託して力尽きるなど、自分には似合わない役回りだ、と。
 託した思いが実ったかどうか、この目で確かめに行ってやらないといけない。
 復活を心に決めて、アーノルドは意識を手放す。



 前日にウェンディ・デイトンが車で下った林道を、同じく車で今度は上る者がいた。
 生い茂る樹木の連なりが遮蔽物となり、コスタノア美術館へ正面方向以外から近づく一台の車があることを、近隣の住民や北部警察を含め、誰も見とがめることはなかった。ウェンディは協力者として美術館を訪れることになった際、美術館占拠の主犯である人物からこの抜け道を通ってくるよう指定されていた。ウェンディは、口外するなとは言われていないからと、抜け道の存在を聞かれればあっさりと明かした。
 そうしてレックス・ベイカーは、車が揺れるたびに襲う鈍痛に逆らいながら、自分が患者として運ばれてきた道を走っていた。
 ウェンディの治療を受けて数時間後に意識を取り戻したレックスは、キングスと相討ちになった後の出来事について、涙目で声の上擦ったレイに代わり、ネルとデイジーから説明を受けた。黒服の集団によりエルシーが拉致されて、おそらく美術館最奥部へと連れていかれてしまったこと、アーノルドはトリンゼット診療所には同行せずひとり美術館に留まったこと、美術館占拠犯は北壁の女神像のある最奥部にてなんらかの計画を遂行しようとしていることを聞かされた。治療費の支払いを求めるウェンディに礼を言う時間も惜しみ、レックスは包帯を巻いたままの体に衣服を身に着ける。まだ完全には塞がっていない傷口の痛みに顔を歪ませながらも、診療所を出た。
 レイが背広の裾を掴んで引き留めると、レックスはレイを抱きしめて、優しく諭した。
「エルシーは俺が行って、助けてやらないといけないんだよ。アーノルドじゃ、あのうるさいお姉さんは手に負えないからな」
 冗談を飛ばせる状況でもなければ、まして笑える状況でもないはずなのに、にかっと笑う。しかしレイは、引き下がった。デイジーやネルと共に、レックスがまた帰ってくるまではトリンゼットに居残り、待つと誓った。
 美術館へ再び赴くにあたり、ウェンディが普段の往診で使用している車、つまりレックスがついこの間まで後部座席にぐったり横たわっていた車をそのまま借りた。ウェンディはレイたちが留守番を兼ねて診療所に滞在すること、緊急時とはいえ自分の車を警察の人間に貸し出すこと、すべてを承諾した。それどころか車の助手席に乗りこみ、傷口が開いた時に応急処置ができるようにと、レックスに付き添った。
「あの、すみません。成り行きとはいえ、こんなわがままを聞いてもらってしまって」
「あなたのわがままを聞いているのではなく、治療費を支払ってくれる確約を得るまで私の目の届くところにいてもらっているというだけです」
「は、払いますよ。事が終わったら必ず」
「あとは、患者の術後経過を観察することも仕事のうちなので」
 もはや機械的ともいえる彼女の応答に、レックスはかえって奇妙な安堵感を覚え、これから自分がなすべきこと、やろうとしていることに意識の照準を合わせる心の余裕が生まれた。
 東側の駐車場に停まり、車を降りる。レックスは車の影に身を隠し、注意深く周囲を観察した。人の気配はない。初め来館した時には気がつかなかったが、関係者あるいは警備員が出入りするためのものと思われる小さな裏口が外壁の隅に造られていた。
「応答せよ、アーノルド。コスタノア美術館は現在、北部警察機動隊により包囲されている」
 林道の後半に差しかかったあたりから、拡声器を通じた機動隊の声が耳に届いており、レックスはこの裏口から中に入る以外ないと判断した。正面の入り口から美術館に進入するとなると、どうあがいても北部警察に存在を認知されてしまう。中央部警察所属、しかも巡査という立場上、自分がこの場に居合わせていると警察の人間に知られるわけにはいかなかった。アーノルドが自分のために、北部警察の目を身ひとつで引きつけてくれているのだと心づき、レックスは姿なき友のことを信じる。
 裏口の扉は施錠されていたが、ウェンディが鍵を持たされており、レックスは館内へ入りこむことができた。後に続こうとするウェンディを、レックスは制止する。
「デイトン先生は車で待っていてください。ここから先は、ひとりで行きます」
「さんざん世話になっておいて、私に指示できる立場なんですか、あなたは」
「それが、できるんですよね。警察官なので。民間人であるあなたを、犯罪者から守るために」
 レックスは警察手帳を掲げて誇示するが、ウェンディは少しの関心も示さない。
「私は、協力者として占拠犯に雇われているんですよ」
「ええ、おかげでこうして車をお借りできたし、秘密の抜け道も教えてもらって、俺がここにいるって面倒な連中にばれずに済みそうだし、良いことずくめです」
「そうではなくて、私を逮捕しないんですか。犯罪者に手を貸している以上、犯罪の片棒を担いでいるのと同じなのに」
「あなたは協力したのではなく、協力させられただけです。罪には問われません。というか、悪人であれ誰であれ、怪我人を治療するのは医療従事者として当然の行為です。あなたはご自身の職務を全うしているだけだ。むしろ、胸を張るべきだと思いますよ」
 きっぱりと明言されて、ウェンディはさすがに面食らったのか、表情には出さないものの少しの間を作り、人間的感情を露わにする。
「あなたもまた、怪我をしてくるんでしょう」
「はい。します。してきます。いっぱい怪我して、でも、いっぱい治してもらいます」
「昨日の大きな男の刑事もそうだけど、あなたのような向こう見ずな人がいるから、余計な仕事が増えるんです」
「稼ぎ口も増えると考えてはいかがですか。デイトン先生には、まだまだ働いてもらわないといけませんから」
 再びウェンディが押し黙った隙に、レックスは裏口の扉をぱたりと閉めて内側から鍵をかけた。
 ウェンディは明らかな戸惑いを、とうとう表情として顔に浮かべていた。



 裏口は、東側展示室に接する通路と繋がっていた。
 ウェンディの車に積まれていたガスランプを借りて、その灯りを頼りにレックスは、静まり返る美術館の中を歩く。前方にランプの光を投げて薄明るい円を広げていくと、時折、床に倒れた人間の身体が照らし出される。肩を軽く揺するなどして確認するも、弱いが脈はあり、死んではいなかった。近傍には刃こぼれしたナイフや、どこから調達したのかも分からない粗悪な改造銃が散らばっている。それらはこの通路で何が行われたのかを、何が起こっていたのかを、青黒い闇の中で静かに物語っていた。
 包帯の下、手当てされているはずの傷が疼いて、レックスは何度も立ち止まる。疼きは、先に進めば進むほど強くなっていく。
 引き返すことはしなかった。
 導かれるようにして、北壁の女神像が屹立する大空間にたどり着く。
 朝陽が女神像の後方から、まるで光背のように漏れこんでおり、像の輪郭をうっすらと浮かび上がらせているので、夜明け前の薄暗い視界であっても、全体の形を捉えることができる。実際に見るのは初めてだったが、見上げるほどに巨大であること以上にレックスの目を引くのは、女神の下半身に相当する部分に、点在して大量に取りつけられている筒状の物体だった。そのひとつひとつから導線が伸びており、おびただしい本数になっているが、木製の箱型の装置に集約されている。
 見る者が見れば、これがただの異常な光景などではないと分かる。明らかにこの後、何かが行われる。
 状況が顕示されることにより、想定できる中で最悪の可能性がレックスの頭をよぎる。これから実行されるであろう「何か」の瞬間までを数えるかのように、心臓が早鐘を打ち始める。
 エルシーに名を二、三度繰り返し呼ばれて、レックスはようやく彼女の存在を認識できた。大声で助けを求められるほどの体力と精神力は残っているようであり、その点では、心配を必要としなかった。
 彼女の隣に、ひとりの男が立っている。
 男は片手に拳銃を持ち、エルシーの首筋に銃口を突き当てている。もう片方の手は、導線の束の行き先である箱型の装置にあてがわれていた。装置からは三叉の棒が突き出している。レックスは一見して、それが何を目的として設置されている装置なのかを理解した。
 大空間の中心にいるレックスと、エルシーを拘束する男が顔を見合わせる。
 警察官として毅然とした態度を保とうとするが、拍動と予感が邪魔をして、レックスは男の心情を読み取ることができない。「彼」は、怒っているようであり、悲しんでいるようにも、楽しんでいるようにも見えた。きっとそのすべてが正しく、どれかひとつに絞れはしないのだろうと、レックスは思う。ただ確かなのは、「彼」がキングスや、ここにはいないトマス、モリーの事件で遭遇した少年と同じ立場の人間であり、ある意志の下でこの大空間を訪れ、「何か」を成し遂げようとしていることだけだった。
「はじめまして。こんなところに単身で乗りこんでくるだなんて、いやはや、勇敢なる御仁だ」
 先に口を開いたのは、男のほうだった。女性を銃で脅しているという凶悪な体勢にはとても似つかわしくない、ひどく落ち着き払った声で、事前に用意された文章を読み上げているかのような言葉をレックスに投げかける。
「中央部警察鉄道保安課、レックス・ベイカーだ」
「ほう、警察官ですか。ということは、私を捕まえに来たのかな」
「その前に人質を、エルシーを解放しろ」
 レックスは相手の放つ静かな気迫に飲みこまれないために、端的な物言いに徹する。それが通じたのか、男はあっさりと銃を下ろし、エルシーを自由にした。感覚で、男がエルシーを銃弾で貫くつもりなどないことは分かっていたので、レックスにあまり驚きは生じない。
 エルシーは少しの迷いもなく、レックスへ駆け寄る。
 その場に留まることもできたはずの彼女は、レックスを選んだ。「彼」とのこれまでの思い出を、今ある「彼」への思いを、何もかもすべて断ち切りたいと願って。たとえその願いが、叶えられないものだとしても。
「そうか」
 女神像の足元に、男はただ独りになる。
 薄明の影に溶けこんでいく。
「君にはもう、いるんだね。新しい、大切な人が」
 男の独り言は、残された時間の進みを速める。
 レックスの右肩を掴んで離さないエルシーに、あまりにも安らかな笑みをたたえる。
「レックス・ベイカー」
「なんだ」
「彼女を。エルシーを、どうか、幸せにしてやってくれ。私の代わりに」
 エルシーの顔の左片方に、長い栗色の髪が垂れかかっている。
 一散に男のところから走ってきたからなのか、それともわざとそうしているのかは、レックスには分からない。
「なんなんだ、一体。お前は、何者だ」
「私は、グレアム。グレアム・カートライト。あなたと同じように、この国を変えたいと願っている、ひとりの人間だ」
 装置の棒に、誰の手もかけられることはなかった。
 大空間ごと揺るがすほどの爆轟が始まった瞬間、レックスはエルシーを全身で覆い、自ら衝撃波の壁となった。
 初めに弾けるような高音がして、次いで女神像を形作る石材が崩れ落ち、重音が響き渡る。
 爆風が、土煙を辺り一面に撒き散らしていく。
 傷口が開きかけるのも構わずに、ありったけの力を発し、エルシーを連れて、できるだけ崩落から遠ざける。エルシーも、レックスについていく。死なないために、生きてここを出て帰るために、絶対に離れない。
 女神の胸部が降って落ちた。
 爆音が轟く。天災を思わせる大震動が伝わっていく。白砂が、嵐のように舞い上がる。
 レックスは座りこみ、エルシーを抱きかかえた。どこからか飛んできた破片に腕を切り裂かれる。石の礫が背中に当たる。痛みはあるが、死にはしない。そう、自分に言い聞かせる。呼吸を控え、両の目を閉じ、ただじっと、崩落の終わりを待った。
 やがて、大空間はまた静けさを取り戻す。
 柔らく、暖かな自然の光を感じ、向かい合うふたりは目を開けて、光の射すほうを見る。
 女神像はなくなっている。
 先刻まで女神像だったそれが、真二つの石塊と化して転がっている、その向こう。未だ辺りを漂う土煙が陽の光に照らされて淡く輝く、そのずっと向こう。
 最果てだったはずの北壁の先には、続きがあった。
 像で塞がれていた岩壁の狭間から、夜明けを迎えた澄み渡る空が顔をのぞかせる。
 空の下には大地がある。
 大地には、鉄路が敷かれている。
 鉄路の始点は、コスタノア美術館の最奥部、または、北の最果て。または、この国の最後の場所。
 終点は、遥か彼方。
 傷だらけの体を互いに抱えながら、見通せるはずのない鉄路の遠くを、ふたりは呆然と見つめることしかできなかった。