この国では、年間に千を超える機関車両が製造されている。大半は貨物輸送車として国中を休みなく走行し、残りは旅客者が利用する。製造量は国の機関が管理しているが、完全な国営化までには至っていない。それ故に、民間会社同士の価格競争の末に行き場を失くし、廃棄処分される車両の数も経過年数に比例して増加の一途をたどる。物資も、人間も、何も乗せることのなくなった列車の終着駅は、ユロックという町の東部に位置する廃棄場だった。正式名称を、ユロック東廃棄機関車両最終処分場という。分解して他の製造業に再利用されたり、展示及び鑑賞目的で元の状態のまま引き取られる事例もあるが、それもまだ少数で、ほとんどが使い捨てのごとく廃棄場に送りこまれて、誰の目にも触れることなく半永久的に放置されるのが大半だった。廃棄空間の確保が難しくなると、重機で小さく解体され、見る影もなくなってから捨てられる。
廃棄処理を目の当たりにした者のうち誰かが皮肉をこめて、この施設を「鉄屑処刑場」と呼んだ。その呼び名は、町の人間たちに浸透していった。
「おい。そろそろ、出かけるぞ」
レックスに呼ばれて、レイは聴いていたラジオの音量を絞った。
レイの中央での暮らしが始まって数か月が過ぎたが、北の大事故の真実に近づく決定的な手がかりは得られず、日常は無為に消費された。春も終わり中央に夏がやって来ると、レイの周りのあらゆる人間の服装が軽く、薄くなっていった。レイもレックスに肌の露出が多い、普段は着慣れない服を着せられて、そのままの格好で学校に行くのは少し恥ずかしかったが、我慢した。レイの通う学校にも、夏期休校が訪れようとしていた。通常の授業は昼前に終了し、学校在籍者とその保護者の両方を対象とする担任面談が後に控えていて、レイはもちろん、「保護者」であるレックスも出席しなければならなかった。レイは気分が沈みがちだったが、対してレックスはやる気に満ち溢れており、有給休暇を取得しての出席となった。
「保護者の皆様もご出席ください、だってよ。俺はお前の保護者だからな。当然、行かなきゃならんわけだ」
「お願いですから、あまり余計なことは喋らないでください」
「なんだよ、余計なことって。レイの学校生活についての面談だろ、事故の話なんかするわけないだろうが。俺とお前に血縁関係がないってことも、コベット先生は知ってるはずだぜ。今更、何を心配するんだよ」
「副担任の先生も同席するんです。メルヴィル先生」
「ああ。この間、新しく赴任してきたっていう人か。なんだ、その先生には知られたくないってか」
「知られたくない、というよりも、知られてはいけないんです。それはメルヴィル先生に限りません。無関係な人に理由もなく秘密を教えるのは、愚策でしかありません」
どこで誰に何を聞かれているか分からない。
ユロック大学での出来事を経たレイは、事故の話をする時、より場所を選ぶようになった。特別が事情がない限り、アパート「アップル・ヤード」の二〇一号室、つまりレックスの部屋の中で、レックスとしか話さないようにしている。ネルと立ち寄るセヴァリー雑貨店でイザドラと会うたびに大学へ遊びに来ないかと誘われるが、毎度やんわりと断っていた。本当はアルフレッドと情報交換をしたかったが、無闇に行動を起こすのは危険だと考えていた。モーゼズ教授が認めざるを得ないような理由を用意しなければ、大学に入ることはできない。学外でアルフレッドと会うにしても、イザドラの力を借りれば容易に実現できるだろうが、モーゼズ教授の耳に入る可能性も高くなる。
レイは、思うように身動きが取れない状態だった。
まだモーゼズが敵であると決めつけるのは早いと自分で言ったにもかかわらず、誰よりもレイが、モーゼズを警戒していた。そこに論理的理由はなく、あるのは直感のみだったが。
「ところでそのメルヴィル先生ってさ」
「はい」
「美人なのか」
「はあ。まあ、綺麗な人だと思いますけど」
「お、そうか。よし」
レックスは洗濯したての白いシャツに身を包み、鏡の前でネクタイを締める。レイはその様子を見て、大きく息を吐く。同時に、緊張が和らいだ。
担任面談はひとりずつ、それぞれ別で行われた。主担任であるハンナがいくつか質問をし、それにレイやレックスが答えていき、時折カレンが話を掘り下げる、という流れで進んでいった。
まずレックスの面談は、レックスの予想通りレイの学校での生活に関する質疑応答が中心で、レイが嫌がるような話題に及ぶことはなかった。カレンもただ「レイ君の保護者として、これからも気にかけてあげてください」と素っ気ない一言で終わらせた。カレンと初対面のレックスは、面談に赴いたことを少し後悔した。彼女の教師然とした品格ある立ち振る舞いは、スカーレット・マイヤーのそれとよく似ていたからだ。
「仲の良い友達はいますか」
次にレイの面談にて、ハンナはそう問いかけた。レイは表情一つ変えず答える。
「いません」
「あれ、ネルちゃんは違うのかな。いつも並んで帰ってくのを見かけるけど」
「仲は悪いです。向こうも僕を嫌っているので。一緒に下校するのは、ひとりだと不審者の標的にされやすいし、帰る方向が同じだから。それだけです」
「そ、そうなんだ」
「大丈夫です。万が一、僕やネルか、あるいは他の誰かが別の誰かと何かしらの問題を起こしたりだとか、そういったことに気がついたらすぐに先生に報告しますし、僕だって学内でくだらない問題は起こしたくない、というか、起きてほしくありませんから。成績も、先生の手を煩わせない程度を保ちます」
「あ、いや、あのね、私はそういうことを言ってるんじゃないんだけど」
「この場で僕から相談したいことも特にないです。何もなければ帰ります」
「う、うん、そっか。気をつけて」
圧倒されるハンナには目もくれず、レイは滴る汗を拭いながら手早く荷物をまとめ、教室を出ようとした。
「待ちなさい」
カレンが呼び止めた。
「私からひとつ、話があります。すぐに終わるから、席に戻りなさい。あと、コベット先生は席を外していただけますか」
教室からはレイではなく、ハンナが出ていった。室内にはレイとカレンのふたりだけが残る。夏の暑さから窓は開け放たれているが風はなく、カーテンもまるで窓の外の風景を完全に遮断するかのように、ゆらめきもせず垂れ下がっている。
「一年前の、北部渓谷での機関車転落事故について調べているようね」
レイの体から汗が一気に引いていく。
「『学内で』問題を起こしたくない、起きてほしくないとあなたは言いました。私にはこう聞こえました。『これ以上、新たな場所で新たな問題に関わっている暇はない』。私はあなたの事情に口出しするつもりは一切ありませんが、担任教師として一点、忠告しておきます」
何故知っている、とレイが口を挟む隙もない。
当然、打ち明けた記憶はなかった。
「真実を知る勇気も覚悟もないのに、これ以上危ないことに深入りしようとするのはやめなさい」
左右で色の異なる彼女の瞳が冷たく光った。
話はそれで終わりだった。教室を出ると、レイの体から引いたはずの汗がぶり返した。まるでカレンが教室内の気温を下げているかのようだと、レイは思った。
「なあ、レイ。俺の周りの女の人ってさ、どうしてこう、おっかないのばっかりなんだろうな」
昼下がりの帰り道、レックスはレイに、まるで同僚に愚痴をこぼすかのように語りかける。その頃には落ち着きを取り戻せていたので、レイは言葉に詰まらず返事をすることができた。
「メルヴィル先生と、鉄道保安課のマイヤーさんと、あとは誰ですか」
「もうひとりいるだろ。すぐ隣に」
「エルシーさんは怖くないですよ」
「そりゃあ、レイに対しては、な。お前がいない時とか、ひどいぞ。週に一回、夕飯を作ってもらうんだけどさ、味とか盛りつけとか、俺がちょっとでも文句言うとすぐに、じゃあもう食べなくていい、とか言いやがるし」
「それも含めて、刑事さんの日頃の行いが悪いだけでは」
まだユロックの町中を歩いている途中であるにもかかわらず、レックスはいつもより丁寧に締めていたネクタイをあっさりと緩める。
「お前、結構、ものを言うようになったよな」
「心を許してきているんだと思います、多少」
「なんだ、その客観的発言は。ふうん、でも、そうか。じゃあ次は、その他人行儀な敬語を使うのをやめるのと、俺のことを名前で呼ぶのを始めてみるか」
「始めません」
「なんでだよ」
「刑事さんは、家族じゃないから」
「本当にそれが理由か」
レイは答えない。会話もそこで終わってしまい、夏の暑さのみがふたりの間に残り、いつまでも居座った。
翌日、レックスはいつにも増して慌ただしかった。緊急の連絡があり、出勤時間が早まったのだという。普段はレイがレックスを起こすのだが、今朝はその逆だった。
「今日の帰り、遅くなるから。学校が終わったら、寄り道しないですぐに帰ってこい」
「何があったんですか」
「放火だよ」
大急ぎで着替えるレックスは、すでに保護者の顔から警察官の顔になっている。
「中央駅の線路内に火が投げこまれた。怪我人は出ていないし、被害自体も大したことはないみたいだが、駅でかなり騒ぎになってるそうだ。列車の運行にも影響が出る」
「列車にすら乗れないかもしれないってことですか」
「かもしれないどころじゃなく、確実に乗れないだろうな。乗降客で構内がごった返してるって、カイルが言っていた。だから今日は、お前も俺も列車には乗らない。車で学校まで乗せてやるから、早く支度しろ。そのまま俺は中央駅に向かう。学校が終わるまでには騒ぎを収められるようにする」
「今日は夏期休校前の最後の出校日ですから、授業もないし、すぐ帰れるようになるかと思います」
「なんだ、そうなのか。帰りも俺が車で迎えに行ってやるから、学校の中で適当に時間を潰しててくれないか。いいか、町の外では絶対にひとりで行動するな。放火の犯人、まだ捕まえられていないらしい」
レックスとレイは出発する時間も、乗る列車の方向も、始業時刻も異なるため、今まで同時に家を出ることはなかった。レイがレックスの運転する車に乗せてもらうのも、今朝が初めてだった。すべてがいつもと違う朝だったから、レイは戸惑った。
レックスの運転は荒っぽく、レイは道中で何度か命の危機を感じたが、通常のおよそ半分の時間で学校に到着した。レイを降ろした車は、再び危なっかしい運転で道の角に消えていく。レイは今後、余程の事情がない限り、レックスの車による送り迎えは遠慮しようと決めた。
授業らしい授業はなく、学校長とハンナによる夏期休校中の過ごし方や諸注意の説明が終わると、解散になった。まだ昼の十二時にも達していなかったため、レイはレックスに言いつけられた通り、校内の図書室で時間を潰すことにした。レイのひとり占めになるかと思われたが、すでに先客がいた。
「ちょっと、あんた。あたしの聖域を汚しに来たってわけ」
ネルがレイの目前に立ちはだかる。レイは無視して、奥のほうの席に腰を下ろす。ネルは怒るが、レイをなんとしてでも図書室から追い出そうとするまでにはならなかった。最終的にはレイの隣の椅子に座り、普通に会話を始めていた。
「僕、メルヴィル先生のこと嫌いじゃないって言ったけど、やっぱり怖いかも」
「やっと、あの女の本性に気づいたんだね。遅すぎるけど。今日なんか、出校すらしてきてないらしいわ。私用で欠勤だって。あたしたちのことなんか、何ひとつだって考えちゃいないんだから」
レイは、このままネルに愚痴を言わせ続ければカレンに関する知らない情報を引き出せるのではないかと考えて、担任面談でのカレンとの出来事を打ち明けた。ネルの言葉の熱量が増していくかと思われたが、そんなレイの予想に反して彼女は黙ってしまう。少しの間を経て返されたのは批判でも悪口でもなく、ひとつの質問だった。
「担任面談ってさ、コベット先生も一緒だったでしょ。あの女があんたの思惑を暴いた時、同席してたの」
レイはネルが知りたがっていることを察した。
「そういえば。その話をされる前に、メルヴィル先生から席を外してって言われて教室を出たんだった。あの時、コベット先生はいなかった。僕とメルヴィル先生のふたりきりだった」
「あの女がどういう意図であんたに釘を刺したかなんて知ったこっちゃないけど、たぶん、あんたに敵意を持っての忠告ではなさそうね。心からあんたの存在が邪魔で、勝手な行動を起こしてほしくないと考えているんだとしたら、そんな気を利かせはしないだろうから。ただ単に関係のない人間を関わらせたくないからっていう線もあるけど、どちらにしろコベット先生に席を外させたのは、意味のない行為ではないと思う」
レイの転入時、レックスはハンナにレイのことを紹介するにあたり、レイの出自についての説明を濁している。ハンナも必要以上に追求はしていないため、ハンナが知っているのは、レイが遠方から中央に越してきたという事実のみだった。
「問題は、あの女があんたの秘密をどうやって嗅ぎつけたのかってことじゃないの。何か心当たりとかないわけ」
「あるよ。というか、ひとつ、そうとしか考えられない可能性がある。まだ確証を得られていないから、この場で口には出さないけど」
「それはあんたの勝手。でもどうするの。その可能性ってやつ、正しいかどうか確かめるつもりなの」
「どうだろう。案外、本人に聞けば答えてくれるのかも」
「あんたの立ち回り次第ね。ま、せいぜい味方に取りこめられるように頑張るといいわ」
「そうだね。味方はひとりでも多いに越したことはないし、当たり前だけど、僕だけの力で解決できる問題じゃないから。人見知りがどうとか、言ってられないよ。なんて、ネル相手には平気で言えちゃうんだ」
「あたしはあんたの味方になった覚えは一切ないんだけど」
「そうだっけ。じゃあ、改めて、ちゃんと言っておく」
図書室にはふたり以外に誰もいない。それでもレイは小さな頭を必死に働かせて、直接的な言葉を避ける。ネルなら言わずとも応えてくれると信じての判断だった。
「僕とネルはきっと、きっかけは違うかもしれないけど、同じものを追い求めてる。僕と手を組んでほしい。ネルぐらい頭の良い女の子が協力してくれるなら、怖いものなしだ」
「何を思い上がってんの。逆でしょ。私があんたに協力するんじゃなくて、あんたが私に利用されるのよ」
「それってもはや、逆とかではないような」
「うるさい。大体あんた、事の重大さをちっとも理解してないでしょ。本当に行き着けると思ってんの。真実、とかいうのに」
「必ず、行き着いてみせる。そのためにここまで来たんだ」
レイの声はもともと小さいが、無人の図書室ではよく響いた。静かに迫る彼の意志に、ネルはいつになく真剣になる。
「そんなに簡単に、あたしのことを信用しないで。何も明らかになっていない、これって、なんらかの大きな力が働いてるってことでしょ。誰が味方で誰が敵か、はっきりしない」
「さすが、鋭い」
「あたし、あんたを裏切るかもよ。あたしはあたし自身が満足な結果を得たいだけ。仲良く手を繋いで、力を合わせて一緒に頑張るだなんて、あたしの柄じゃない」
「うん。ネルがやめたいと思った時に、やめてくれて構わない。僕は何も、ネルと友達になりたいと言うつもりはないんだ。これは言わば、長期的協力要請。ただし、お金は出せない。でも情報は共有する。ネルも、欲しいものが手に入らない段階で貴重な手段のひとつを手放すなんて馬鹿な真似はしないでしょ。僕だって絶対しない。どうかな、決して損な話ではないと思う。それともネルって、単に僕のことが嫌いだからとか、幼稚な難癖をつけてみっともなく逃げ去るようなお子様だったっけ」
まくし立てるレイに対抗しようとしているのか、ネルは無意識に前のめりになっていた。しかしもうその表情には敵意も、偽りもない。
「協力、する」
「ありがとう。これからもよろしくね」
「二言目から勘違いな発言してんじゃないわよ。馴れ合いとか、死んでも嫌。仕方なく行動を共にしてあげるって言ってんの」
「でも、言っておきたいんだ。よろしく。長い付き合いになりそうだし」
「勘弁して」
初め、レイはネルに、どうしようもなくひねくれた女の子、という印象を持っていたが、図書室での会話を経てその認識は反転した。レイは、ネルほど実直で真面目な子はいないと思っているし、そんなネルに、こうして協力を求めた自分自身を、本当に嫌な人間だと思っている。
昼過ぎまで待ったが、レックスは迎えに来なかった。どうしたものかとレイが考えあぐねていると、ネルがこのままふたりで学校を出ようと言い出した。レイは放火犯の件を伝えて断ろうとするが、レイもそれでネルがおとなしく引き下がるとは思っていなかった。
「あんたって、親や先生の言いつけをずっと守っていれば、何もかもが順調に運ぶって思ってそう。だから未だに何も知らないのよ」
「でも、もし危ない目に遭って、それが明るみに出てしまったら、行動制限をつけられるかもしれない」
「そんな間の抜けた失敗をするわけがないわ、このあたしが」
「っていうか、もしかして、どこかに行くつもりなの。まっすぐ家に帰るんじゃなくて」
「当然でしょ」
ネルはレイの顔から視線を外した。彼女が彼女にとって、言いにくいことを言う時は決まってそうする。
「あんたさあ、悔しいとか、許せないとか、そういう気持ちはあるの」
レイは、すぐに答えることができない。ネルは構わず続けた。
「あたしにはある。でも、いつもじゃなかった。時の流れってさ、こんなに恐ろしいものなんだって、ようやく気づけたの。初めはあんなに悲しかったのに、死ぬまで忘れてたまるかって思ってたのに、あたしの頭、忘れようとしてる。いつの間にか。ふざけんなって感じ。このままじゃあたし、あれを引き起こした連中の意のままになってるようなものだ、って、どうにかして憎しみを保ち続ける方法がないかって、探したの。見つけたよ。ずっと忘れずにいられる場所」
「どこ」
レイはひどく緊張しながら尋ねた。ネルは声を潜める。
「鉄屑処刑場」
「それはまた、物騒な名前の場所だね」
「正式な名前じゃない。使われなくなった機関車を捨て置く埋め立て地。町の東にあって、ここからなら歩いて行ってもそう遠くない。本当は誰にも教えたくなんかなかったけど、特別に連れてってあげる」
「どうしてそこが『ずっと忘れずにいられる場所』なの」
「行けば、あんたも同じことを思うはずよ」
ふたりは図書室を出て、学校の門をくぐった。まだ陽は高く、歩けば歩くほどにふたりの体を汗が伝う。建物の陰をたどり、なるべく人通りの少ない道を選んで、途中、何度か休憩を取りながら目的地を目指した。道中、ふたりは一言も喋らなかった。
ユロック東廃棄機関車両最終処分場、通称「鉄屑処刑場」は、廃棄空間を鉄の壁と柵で四角く包囲する、ユロックの町で随一の大型施設だった。正門は厳重に施錠されていて入ることはできない。近辺には民家のひとつも建っておらず、人を寄せつけない雰囲気を作っている。
ネルは、施設の裏手に回った。レイも辺りの様子を注意深く観察しながらついていく。すると、施設管理者が出入りするための裏口が見えてきた。扉は鉄板ではなく金網で造られている。ネルは金網の穴のうち、大きく広げられたひとつに手を入れて、慣れた手つきで内側から鍵を外そうとした。ところがすぐに手を離し、苦虫を噛み潰したような表情で施設の中へ鋭い視線を向ける。
「来てやがる、誰か」
「えっ、何、まさか、管理の人とか。だったらまずいよ、帰ろう」
「いや、それはない。ここ、少し前に完全無人化したから」
「じゃあ、一体誰が」
「あの女よ」
ネルは扉を開け放ち、迷いなく施設内に進入する。レイも後に続く。
「あの女って、もしかして、メルヴィル先生のこと」
「他に誰がいるってのよ」
カレンが赴任した当初、ネルは学校の外、それも「鉄屑処刑場」の付近で彼女と鉢合わせした。施設からの帰り道を歩いていたネルは、とっさに道に迷ってしまったとごまかすが、カレンはネルが施設に立ち入っていたことを瞬時に暴き、厳しくたしなめた。
「中に入る時は誰にも見られないように細心の注意を払っていたのに、あたしとしたことが、全部見破られてた。きっとあの女は最初からあたしを尾行していて、あたしの視界の届かないところから見張っていたのよ。あたしを問題児だと踏んで、問題行動の決定的瞬間を押さえるためにね」
「問題行動だっていう自覚はあるんだ」
「そういう女なのよ、あいつは」
「メルヴィル先生のことを先生って呼ばないのも、それが理由か」
「そうよ。あたしだって、理由もなく他人を嫌いになったりしない」
だったら僕のことを嫌う理由はなんだ、とレイは聞きたかったが、自明だったのでやめておいて、話題の角度を変える。
「でもさ、赴任したての学校の先生をいきなり嫌いになるぐらい、知られたくなかったんだね。この場所」
「うん」
急に感傷を帯びた返事になり虚を突かれたのと、目の前に現れた光景とで、レイは一時的に言葉を失った。
うず高く積まれた廃棄車両の残骸が、無機質な黒檀の山を形成している。レイはそれを、機関車の死体と自身の中で表現した。人やものを運ぶという役目を終えて、燃料を注ぎ入れられることもなくなり、命の絶たれた機関車の死体。乱雑に重ねられているせいか、鉄骨が車窓を貫いていたり、車体そのものが原型をとどめないほどに押し潰されたりしている。建物の採光は乏しく、かろうじて内部の構造を識別できる程度で、死体たちに光は当たらない。まるで、この国の闇が集約されているかのようだった。
「ここに来ると安心する」
ネルの横顔をレイは盗み見る。レイには、安心しているようには見えない。
「どんなに嬉しいことや楽しいことがあっても、自分は幸せなのかもしれないって勘違いしそうになっても、ここに来れば、みんな消せるの。谷底にはいつまでもこんな光景が広がっていて、そこには生きた人間はひとりもいないし、生きた機関車もひとつもなくって、何も、誰にも、救ってもらえなくて、ただそこにあるだけだってことをずっと憶えていられる。周りの人間は忘れよう、忘れようって必死になってるし、あたしにまで忘れさせようとけしかけてくるけど、その手には乗らない。絶対に忘れない。一生憎しみと一緒に生きてやる」
「なんだか、生きにくそうだね」
レイの端的な感想に返事はなかった。レイは底なしの不安にとらわれていた。どんなにくだらない話題でも構わないから、ネルと会話がしたいと思った。何かを誰かと話していないと、この処刑場を重たく這いずる空気に足を取られて、永遠にここから出られなくなってしまうのではないか、そんな考えが頭の中を巡り、怖くてたまらなかった。
「誰をなくしたの」
やっとの思いで絞りだした質問は、あまりにも軽率に核心へと迫った。
「知ってるくせに」
今度は返事があった。ただし、消え入りそうなほどに小さな声だった。
「名前しか知らない。どんな人だったの」
「あんたとは正反対の人間よ。自信があって、前向きで明るい。あと、優しい。いじめられてたあたしを助けてくれたの。一緒にいると心が安らぐというか、楽になれた。自分を守るってことを教えてくれたのも、あの人だった」
レイは、ネルの話にしては陳腐な内容だと思ったが、すぐにその考えが誤りであると気づいた。
ネルはもともと、ごく普通の女の子だったのだ。
一年前の事故が、彼女を壊してしまった。
何もかもに対して否定的で、攻撃的なネルは、本当の彼女ではない。その事実はレイにとって大いに安堵できると同時に、少しだけ残念だった。
「北のコスタノアって街に、大きな美術館があるんだって。そこで展示してる絵が見たいって言って、あの日、列車に乗ったの」
「絵って、なんの絵」
「さあ。聞いてない。あたしは興味がなかったから、ついて行こうとも思わなかった。でも、すごく楽しみにしてたな。どうしても見たかったんだと思う」
「ひとりで遠くの美術館に行くって、変わってるね」
「ひとりで行動できる人って、格好良いじゃない。あんたは独りでしか行動できない愚かな人間だから救いようがないけど」
「そうかもね」
「否定しなさいよ」
「間違ってないから。僕は独りでいることは好きだし、できることならずっとそうしていたいけど、そういうわけにはいかなくなったから、仕方なく独りでいるのをやめてる」
「それって、事故を調べるためにはあんたひとりの力だけじゃどうにもならないってことよね」
「そう。もし事故が起こってなかったら、こうしてネルと立ち入り禁止の場所にこっそり潜りこんだりなんて絶対にしなかったし、そもそもネルと話そうとも思わなかっただろうし、ずっと塞ぎこんだままだったはずなんだ。だって、必要ないから」
「何が言いたいの」
「理由ができないと独りでいるしかなかった。それって本当に、ネルが言ったように救いがないなって思った。理由があるとかないとかの話じゃなくて、その境遇自体が。だからさ、ネルの言ってることは正しいよ」
ネルの語調に攻撃性が戻る。
「ふざけんじゃないわよ。境遇って何。もしあんたに与えられた環境が全く違うものだったら、あんたは健常に生きることが可能になっていた、とでも言いたいの」
「うん。環境は人間を形成する。僕はこの機関車の国に生まれて、機関車事故で大好きな人を失って、人が嫌いになった。人に関心がなくなった。言うまでもなく、そのすべては外因だ。僕の境遇に、僕自身の意思は介入していない。結局突き詰めれば、生きてくのって運任せなんだよ」
「クソ食らえだわ」
「そんな言葉、使っちゃいけないよ」
「あんたの言うことがどうしようもないからでしょっ。そんな、そんなの、あんたの大好きな人も、あたしの大好きな人も、死にゆく運命だったって言ってるのと同じじゃない。事実、本当に死んでしまった。イーグルの機関車に乗った人はひとり残らず、みんな死んだ」
「死んでいない」
レイが返したのではなかった。ふたりに悪寒が走る。
「ロブ・トウニー・ジョンは死んでいない。まだ生きている」
教卓から発するのと全く変わらない凛とした声を、カレン・メルヴィルは響かせた。
もともと侵入者がいることは既知の事実であり、ある程度の心構えはできていたために、レイは彼女の登場そのものには驚かなかった。心臓の鼓動を意識するまでに驚愕を覚えたのは、彼女の発言した内容に対してだった。
ロブ。レイが学校の授業の中で耳にした、ネルの大好きな人。
オズワルド・イーグルと同じ機関車に乗り合わせ、転落死したはずの少年。
「い、いきなり現れたと思ったら、なんなの。程度の低い嘘であたしの機嫌をとろうって魂胆なんだろうけど、余計に傷つけるだけだってことが想像できないみたいね」
ネルの声は震えていた。辺りは変わらず暗いはずなのに、カレンの氷のように冷たい視線はネルの顔を迷わず捕捉して逃さない。
「私があなたのご機嫌取りだなんて、天地がひっくり返ったってありえない話です。私はただ、誤りを訂正しただけ」
押し問答を避けるのと、ネルが衝撃を受け止める時間を作るために、レイが話に割って入る。
「間違いないんですか。先生の話が本当なら、一年前の事故には生き残りがいることになります。確か警察が発表している見解は『乗客全員が機関車両と共に谷底へ転落、生存確認不可』でした。事実上の全員死亡です。もしそれが覆されるのだとしたら、大問題になりますよ」
事実上の全員死亡、という言葉の持つ残酷さに、レイは自分で自分の首を絞めているかのような感覚に陥る。
「まだ公になっていないだけ。決定的な証拠を入手して、鉄道管理局に差し向ける予定でいる」
「なんですか、決定的な証拠って」
「ロブ本人に決まっているでしょう。私は彼を捜すためにこの町に来た」
「彼が生きているという情報はどこから」
「どうしてそこまで教えなければいけないの」
「それを言うなら、どうして先生は僕らに教えたんですか。彼が生きていて、先生は彼を捜しているということを。簡単に予想できるはずですよね、そんな情報を明かせば、どういうことだと問い詰められるに決まってるって」
カレンの氷の眼差しがネルから外れて、レイを突き刺す。
「私の忠告を、もう忘れてしまったようね。危ないことに深入りするのはやめなさいと言ったはずです」
「ごまかさずに僕の質問に答えてください」
「賢いあなたなら、彼の件に自分は手を出さずにいようという考えに至ることができるはずと信じて教えてあげたけど、どうやら、計算違いだったみたいね。自分の教え子が行方不明であるのなら、その捜索に助力することも、教師としての務めのひとつだと思っているから。ただ、それだけのことです」
「行方不明、ですか」
「そう。ロブ・トウニー・ジョンは『死亡』ではなく『行方不明』。出任せを言っているのではなく、確かな根拠があります。でもその根拠をあなたたちに教える義務はない。何故か。あなたたちの出る幕がないから。でも、私だって悪魔ではない。せめて、生きているという事実だけは特別に教えてあげようと気まぐれを起こしてしまった、ってところ。どのみち、あなたたちには声をかけて、ここから連れ出すつもりではあったけど」
「悪魔でしょ」
ネルの反撃が始まった。
「そんな嘘か本当かも不明瞭な情報で惑わせて、あたしたちには何もするなって、ひどすぎる。あたしたちはあたしたちのやり方で真実を見つけるわ。少なくとも、あんたよりかは陰湿じゃない方法で」
「私のどこがどう陰湿だっていうの」
「ここにあたしたちが入りこむのを待ち伏せしてたんでしょ。まさか、あたしが何も知らずにのこのこやって来たとか思っちゃってるんじゃないでしょうね」
「私はあなたたちを追ってここまで来た。待ち伏せするとしたら、あなたたちでしょう」
「この期に及んで、まだ嘘をつく気」
「ちょっと待った」
レイは、嫌な予感がした。
カレンはレイとネルの後に施設内に侵入した。しかしふたりが入る時、裏口の扉にはすでに何者かが侵入した形跡があった。
ここには今、三人の他にも侵入者がいる。
レイが気づいたその瞬間、何かが砕ける音と共に辺りが一気に明るくなった。陽の光にしてはひどく赤く、熱い。
鉄屑の山が燃えている。
炎の背はさほど高くないが、横に燃焼面積を広げていった。
「なんなのよこれはっ」
「まずい、早く逃げなきゃ」
「とにかくここを出ましょう」
カレンは狼狽えるばかりのレイとネルの手を掴み、駆け出した。
レイはもつれかける足を懸命に動かしながら、頭も働かせる。
揮発油の臭いを感じた。だが、油が撒かれるような音は特に聞いていない。
今朝のレックスの言葉を思い出す。バノックの街に出没した放火犯は、中央駅を通過する線路に放火したという。その犯行をレックスは「火がつけられた」ではなく「火が投げこまれた」と表現した。つまり、あらかじめ着火された火種そのものを線路に投下したということになる。
たとえば、その火種が密封された瓶状の容器に入れられた可燃性の液体で、栓代わりの乾いた布などに火をつけて引火源とすれば、小火騒ぎを起こしたい場所に投げつけるだけで、直前まで見とがめられることなく炎を上げられる。人の多い場所で火を起こすという行為は、当然ながらそう簡単に人の目を避けられるものではない。それが中央駅ならなおさらだ。
では何故、犯人は未だ捕まっていないのか。レイの疑問は、目の前で前触れもなく燃え上がった炎によって解決される。
「逃げるなよ」
施設を取り巻く仄暗さには似つかわしくない、おどけた声の男が、炎の奥から現れる。構わず逃れようとするレイたちの前で、二投目の瓶が砕け散った。積み重なる鉄屑と広がる炎が檻となり、三人の行く手を阻む。
「楽しいなあ。機関車が燃える。国が燃える。燃えたらみんな、さようなら。全部、なくなっちまう。最高だ」
赤い光が、放火犯の顔を浮かび上がらせた。煤と垢で汚れているが、放火という行為を心から楽しんでいる、喜びに満ちた表情だった。
「な、何よ、こいつ。頭がおかしいんじゃないの」
ネルの言葉からも鋭さが消え、ただのか弱い虚勢へと成り下がっている。恐怖に耐えられず後ずさりすると、炭水車の残骸からこぼれ落ちた石炭で足を踏み外し、その場に尻餅をついてしまう。
放火犯の注意がネルに向く。
狂喜に乱れた男の笑みで、顔中の垢が醜く広がる。
「助けて」
足ががくがくと震えるせいで、ネルはまともに立ち上がることができない。
まるで、ごく普通の少女のような涙声で訴える。
「助けてっ。先生」
叫びよりも先にカレンは動いていた。素早く男の後ろに回り、両手を拘束する。男は抵抗するがカレンの腕の力に敵わず、もがくことしかできない。手に握られた最後の一瓶もカレンによって取り上げられ、男は放火犯から、ただの薄汚いならず者になった。やがて男は戦意を喪失したのか、カレンが力を加えずとも彼女の眼下にへたりこみ、頭を垂れる。
「警察に連絡を入れて。私は身動きが取れないから」
呆然と一部始終を眺めていたレイとネルに、カレンの事務的な指示が飛ぶ。意外にもネルが率先してその指示に従う。近辺の公衆電話を探しに施設の外へ出ていった。
「この国はもう、おしまいだ。おしまいなんだ」
放火犯の嘆きがレイにも聞こえてきたが、言語として理解できるのはそれぐらいで、後はまるで生死の境をさまよっているかのような呻きでしかなかった。炎は依然ゆらめいていて、視界の確保には申し分ない。カレンが男を見張っているため、逃げられる心配もなかった。
「頭がおかしいだけならまだ良いほうよ」
レイは、カレンが自分に対して話していると気づくまでに時間を要した。
「意思疎通そのものが不可能なのだから、互いの考えを伝え、双方の落としどころを探す必要がない。力でねじ伏せて、それで終わり。あっけないほどに簡単。でも、あなたたちがこれから歯向かおうとしている存在はそうではない」
ぼんやりとしか聞いていなかったのに、レイの頭の中には鮮明に、ある人物の顔が浮かぶ。
「想像してみなさい。何故、一年も経っているのに事故の真相が明らかになっていないのか。それを覆い隠そうとする者たちがいるからです。現に、この状況は維持されている。彼らの思惑通りに、事は進んでいる。彼らは目的を達するために、穏便に、確実に、謀略の限りを尽くす。心から真実を知りたいと願うのであれば、崩さなければならない、彼らの計画を。おそらくは、困難を極めるでしょう」
カレンの氷の眼差しが、再びレイを貫いた。
「レイ。もう一度聞く。あなたに、真実を知る勇気と覚悟はあるのか」
レイは迷わずに答える。
「なかったら、こんなところに来ていません」
「そう。素直に『ありません』と答えないあたり、あなたらしいわね。まあいいわ、これから嫌でも思い知ることになるだろうから」
カレンとレイの対話はそこで終わった。
警察と消火隊が到着するまでの間、場内では、やがて消え入る小さな炎が鉄屑に群がり、暗闇の中で虚しく弱い光を放っていた。