卒業式から数日後の日曜日の午後、沢城香澄はある人物と会うために東京のある飲食店を訪れていた。そこはその人物が指定した場所だった。
入店し、店員に待っている人がいると告げて、店内を捜す。その人物は、すぐに見つかった。髪は沢城よりも長く、柔らかな色の服に身を包む女性が、やや悲しげな表情で座っていた。
「久しぶり」
沢城は声をかけて、向かい側の席に腰掛ける。女性は深々と頭を下げる。
「お久しぶりです」
「最近調子はどう」
女性は目の前に置かれたココアのカップをのぞき込んでいる。やがて、ふっと窓の外に視線を移した。
「実は、恋人ができて」
「あら、本当? よかったじゃない」
沢城はまるで自分のことのように手を合わせて喜んだ。それは、深水中学校の生徒には決して見せない態度だった。
女性は沢城の喜びように微笑を返すが、すぐにそれをかき消した。
「先生」
「どうした」
「もう、わたしのためにここに来るのは、やめてください」
沢城は腕を組んだまま何も答えない。その鋭い目つきで先を促す。
「先生がわざわざわたしに会いに来てくれることは、とっても嬉しいです。でも、わたしはもう一人で生きていけます。大切な友人も増えて、今のところはお仕事も順調にできているし、先生は他にもっとやるべきことがあるでしょう。わたしなんかのために、これ以上迷惑をかけるわけには」
「そうだね」
「えっ?」女性が間の抜けた声で聞き返す。
「実は私も、今回限りであなたにこうして会うのをやめると言うつもりだった」
女性は顔を赤らめた。「す、すみません」
「どうして謝る。あなたの方から言ってくれれば私もやりやすくて助かるよ」
店員が沢城の頼んだコーヒーを持ってきた。沢城は砂糖も入れずに一口すする。
「先日、うちの中学校で卒業式があってね」
「はい」
「その卒業生のうちの一人に、昔のあなたにそっくりな子がいたの。楽器も同じトランペット。まあ、あなたほど暗くはなかったけどね」
「ははあ」俯きがちにそう漏らす。
「いい表情をしていたの。きっとその子は、中学生ながら、自分の力で自分の道を切り開いて進んでいくことの大切さに気がついたみたい。私の見る目があれば、の話だけど。だからあなたも、きっとその子と同じことを思っているんじゃないかって」
女性は自然と顔を上げていた。
「沢城先生の教育の賜物ですね」
「そうかしら」
「そうですよ。その子、名前はなんていいますか」
「海風薫。そのまま、海の風が薫ると書くの」
女性は残りのココアを口に含み、よく味わって飲み込んだ。沢城から聞いたその名を、じっくりとその記憶に刻み込むかのように。
「いつか会ってみたいです」
「どうして?」
女性はにっこりして言った。その笑顔までもが、薫にそっくりだった。
「一緒に、トランペットを吹いてみたいから」